大分交通・国東観光,小屋型,終点,軒下吊り下げ

にしきのあきらの時代の木造小屋終点バス停

現在は「日出町200円バス」の終点になっている小浜。
このバス停は丁度日出町と杵築市の境界線に位置している。


木造の気合の入った小屋が鎮座して

何気に少し傾いている。

軒先に下がっているのは大分交通の方のバス停で

杵築市のコミュニティバスのバス停が間借りしている。
杵築市コミバスのほうは電柱やガードレールなどの壁バス停がほとんどだ。

近寄ると傾きようが激しいのがわかる…。

相合傘

にしきのあきらは1970年代、女の子に大人気の大スターやったんやで…。
(※そのころの落書きだったかどうかは知らない)
そういえばにしきのさんは大分県出身だけど、大分市とのことでこの辺とはあまり関係ないと思う。

「にしきのあきら物語」「屋上で夕陽に向かってトランペット」「かわらぶきの屋根」
どうでもいいことを思い出したが、つらつら説明してもたいして面白くないのでその三つに「安永航一郎」も足して適当に検索してみてください…。

NHKの番組で現在を知る

このバス停を撮影したのは2021年2月。
12月にとあるNHK福岡の企画番組でこのバス停が紹介されることになって。

たまにこのブログで名前が出てくるちょんびんさんが大活躍していたりするんですが

収録は放送の一か月前くらいだったそうで、その頃にはもうどうも解体されていたらしく。


番組中でも「いつか無くなってしまうものを記録に残しておくことが尊い」みたいな言葉が出ていたのですが、自分のやってる作業はまさにそれで。

もう見る事の叶わないものとなってしまうのは、いつになるのか誰にもわからない…。

ストリートビューはこちら

JR九州バス,軒下吊り下げ

犬鳴峠のバス、実はかなり貴重な「現存する峠越え下道バス」

怪談系、オカルト系の人々にとっては福岡ではある種「聖地」と化しているきらいがある犬鳴峠。
実際のところその心霊スポットとされる峠越えの旧道トンネルは、あまりに肝試しと称して入り込む人が多く迷惑行為が頻発したりして、現在は新道からの入り口を鉄柵で丁重に封鎖をされているところ。
この新道は福岡と筑豊を結ぶ峠の中で一番混まないうえ線形が良いルートでして、その新道トンネルを通る分にはなんてことがない場所です。

その新道トンネルをくぐって、犬鳴ダムのある新司書橋から脇田温泉のある谷の旧道に入りこみ。
「観音滝」「芳賀」と止まってこのバス停へ。

道もそこそこ狭ければバス停の方も

福岡ではすっかり希少種の立ってないバス停である。
この宮若のエリアは戦中くらいから国鉄自動車が走っていて、昭和25年頃旧犬鳴トンネルの開通から博多~直方で運行していたようだ。
今では大変珍しくなった峠越えの長大路線になってしまって、博多駅付近でこのJRの赤バスを見かけると「直方駅」という行先表示に驚いてしまう。

「狭い道路に小屋型のバス停」みたいなロケーションが博多駅から1本のバスで行ける、というのが令和に残っているというのはなかなか凄い。
見事にタイムカプセルのような路線になっている。

犬鳴峠方面を見る。
都会から来た方角、というのが信じられないような道…


この次は脇田温泉の楠水閣

犬鳴峠のバス、オカルトな話は運転手に訊けばあるのかもしれないのだけど、峠の旧道のとこに一個ずついまだにバス停があること自体が一番オカルトで怖いよね…。
福岡側は「白木橋」、宮若側は「犬鳴口」。興味本位で行くところでは決してないので、絶対に行かないこと…。

ストリートビューはこちら

日田バス,軒下吊り下げ

日田バスバス停の定点観測地点

今度の年末年始、なんとライブ2本も入ってましてブログの更新はその間1~2本書けるかなって感じになっていまして、これを今年最後の投稿にいたします。
音楽やら別の作業が出だしているのでまた長期にわたって手がつかなくなる流れになってきつつあるし、やれるうちに書いておきたい題材を書いておこう…。


琴平町のバス停。
道は狭いが、今でも現役の県道。

田んぼが広がっているが実は市街地にはかなり近い。

ので昔から看板が多く取り付けられている。

最初にガラケーで撮った時の写真がこれ。

この時は前津江線のみがここを走っていた。

今年撮影。

今は「ひたはしり号」という市内循環線がここを通過する。
本数も増えて、昔に比べて整備もされている。

ベンチが真新しくなった!!

付近の景色はずっと変わらない。

ここは本当に日田の定点観測所みたいなバス停。

このバス停が潰えたら、日田も行かなくなってしまうんじゃなかろうか…いや、プノンペンラーメンという目的があるか。

相変わらず人気があるのかやっていて謎なこのブログですが、個人的にはやりたいからやっているブログなのでヨシ!!
皆さま良いお年を。

お蔵出し

2005年10月

2015年4月

2020年3月

2020年10月

ストリートビューはこちら

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ,鉄道跡

草むしたホーム跡のバス停

ずいぶん前に一度行った小屋型のバス停。


ここは豊州鉄道(晩年は大分交通)の線路跡を国道にしていて、ここは駅あとの敷地が道路そばの空き地と化している。
小屋はもともとホームにあったものなのか気にはなる。


他のバス停小屋と比べると少し大ぶりで堅牢には見える。

が、駅っぽい特徴とかは見当たらず、現地見た限りではわからないかな。


計画では日豊本線の宇佐駅から山を越え、豊後森までつなぐつもりであったらしい。
廃止になったのは昭和28年。
経営は大変苦しく、廃止直前には一日1往復の客貨混合列車を残して全部代行バスを走らせていた。
この三又川のちょっと下流でこの鉄道は並走する駅館川を渡るのだが、台風でその橋が倒壊してしまった。

バス停の由来「三又川」


この三又川、橋のマニアにはちょっとだけ有名な場所で

この宇佐付近には「沈下橋」という形式の橋梁が多く残っている。
沈み橋とも流れ橋ともいう。正式名称は「潜水橋」らしい。

「三又川」の地名は、川が三又になるところが由来。
この橋はその三又になるところにかかっているので…

なんと橋も三又に。

行った際は農作業の軽トラが行き来してました。さすがに分岐を車が通った形跡はない。鋭角過ぎて曲がれるわけがない。
前軽自動車で訪れた時は渡れたけど、今の車だと厳しいかなあ…。
この分岐の先には上流まで大回りしないと行けない対岸の集落があって、駅があった頃にはショートカットに使ってたんじゃないでしょうか。

ストリートビューはこちら

大分交通・玖珠観光,軒下吊り下げ

バス停小屋・ノット・デッド

大分の中津市山間部(旧耶馬渓)、特に柿坂~豊後森間には比較的小屋型のバス停が残っているのだが


ここなんかは絶対しばらくなくならないだろうと思うし

写真なんか撮らなくても大丈夫と感じてしまう。

朝には「持田」までの区間便がある。
持田には旧耶馬渓町役場があったり、診療所があったり。

コミバスの時刻表も。
中津市のコミバスはかなり路線図が賑やかで楽しい。
旧大分交通の廃止路線代替も含めて週に一度の路線が多いのだが、機動力が大いに増してとんでもないような山間集落まで分け入っていく。

向こうに見える特徴的な形の山は日本では珍しいテーブルマウンテン・伐株山。

そういえばここ、珍しく木造。

雨風に耐えて生き残ってほしいですな…。

ストリートビューはこちら

大分交通・玖珠観光,崩壊系,軒下吊り下げ

ふうぜんのともしび

中津の方角から、深耶馬渓のそばを食べる前の下流に聳え立つバス停。
下流には鴫良温泉があり、旅館や土産物屋がぽつぽつと並んでいてそこそこ観光客も多い通りだ。
バイクのツーリングによくすれ違う。


この辺は待合室吊り下げバス停の宝庫だ。


きわめてスタンダードなバス停と言えるが

シースルーである。

残念ながら、おそらく災害等でこうなったのか。二次被害などもなくつつがなくそのまま、というのは不幸中の幸い。

出会いは一瞬、いつなくなるかわからない


この通り、結構前にも一度通っていて下流の山移や持田の写真を撮っている。
この時は上下5往復、中津~森(JR久大線の豊後森駅)間の急行バスが走っていた。

今でも変わらないとは感じるが、土日便がなくなっていたり急行は無くなり中津まで行かなくなっていたりと退潮著しい。

あの時は写真を撮らなかったけど、こうなってしまうと撮っておかねばとなる。
いつまであるんだろう…いつ消えるのだろう…

「福岡くん」というテレビでやっていたが、「大木切ります!」の看板は筑豊の会社が頑張って貼っているそうだ。1984年創業だそうだから、ほぼほぼ平成期に貼られ始めたものか。
これは平成の田舎アイコンとして語り継がれるのかもしれんね…。

ストリートビューはこちら

大分交通・玖珠観光,終点,軒下吊り下げ

菅原道真ゆかりの県境近くの集落

大分県の豊後森から、熊本の阿蘇の方に行く道沿い。
国鉄宮原線の伸びていたとこと言えばわかる人にはわかる道には、少し前まで県境を越えて肥後小国までのバスが走っていた。
その途中の枝線の終点の一つが菅原。


記念碑と

真後ろに公民館。

公民館と折り返し場、田舎の集落の終点としては最強タッグで。そしてこの立派な小屋である。

なかなか田舎ではかなり頼もしい本数。
なので…

たまにバスに遭遇すると何していいかわからない


バスがやってきてしまった。

えっと…

バスが。

来ちゃいました。

まるで憧れのあの子と二人きりになった瞬間、何話せばいいかわからなくなった男子中学生のように何するわけでもなく。

そのうちバスは去っていきました。

ごめんなさい、やっぱりぼくバス停さんのほうが好きです。

ストリートビューはこちら

宮若市コミュニティバス,軒下吊り下げ

なんでこの道をずっと回らなかったんだろう

自分は特殊バス停の定義の一つを「標柱が立ってない」としています。
今現在ほとんどのバス事業者が標柱は絶対に立てているものであり、特に都市部になるとそれは顕著であるからで。そんな標柱のない小屋型のバス停がJRバス直方線に点在していたのは知ってたものの

自分の見知った道路沿いにあるのは結構こうやって立ってる例が多く、結構掘れば残ってるの見つかるよということを知ったのは実はずっと後。
この町の山の向こうに引っ越したので、買い物やら何やらでこの道を通るようになって、発見してビックリ…と、知ったのは2年前のこと。


国鉄バス直方線の支線で、福丸~清水口~脇田温泉と運行していた枝線のバス停。
なだらかな斜面に田んぼが広がり、ずっと向こうまで道が見える圧巻の景色。

あるもんですなあ

JR九州の流用なのはちょっとポイントが高く、この沿線のいくつかのバス停は丸看板を新調していたりします。
しかしなぜ気付かなかったのか?単にズボラだったからですよ!!


当然ズボラなもので、おそらく腕のいい写真家であるなら空模様やバスの時間を気にしたら、めちゃくちゃいい写真が撮れるよねと毎度思う訳ですよ。

なおストビューのほうが好天に恵まれていて、自分の撮ったものより遥かに…


しかし、比較的通るほうの自分ですらバスに遭遇したことは皆無。

別の日の夕暮れ。ここには本当にバスが来ているのか?
実は最近このバス停、定期運行は無くなってしまっています。

先の方のバス停小屋が一つ取り壊されていたし、ここはいつまで残るものか…。

ストリートビューはこちら

大分交通・国東観光,民家型,軒下吊り下げ

今のところ最後に見つけた軒下バス停

いやー、本当に残ってるとこには残ってると感心しました。
ツイッターで流れてきたバス写真で見てたまげました。俺の知らないところにもまだあるのか、と。
そういう訳で行ってきました。


ザ・旧道。
ここを見逃してた理由なんですが、本当にわずかな区間だけ旧道が残っていたのに気づかなかったんですね。
あとは国東半島の南端で、さらっとしか廻ったことがなかったこともある。

絵に描いたような軒下のバス停。

国東半島の下、別府市の北隣にある日出町のバス停です。

日出町福祉センターから日出駅を通り、杵築との市境近い小浜までの路線。
コミュニティバスとしての側面もあり、この路線は200円均一で乗れます。4往復。

ポスト・宅急便の取り扱い看板も現役であり。
正直こんなにいかにもな軒下バス停が現存してることがあたしゃ嬉しいよ…

ここ、ちょっと集落外れに道路がつけ変わっているのだけど、まあ歩いて行けない訳でもない距離の場所で。
でも残ったのだからありがたいことだけど、運転手はこの道幅は大変だろうな、と思うのだ…。

今大分県下で軒下に残っている現役バス停、今自分が把握しているのは
竹田の白丹栗戸三砂岩鼻両家
日田の
こんなとこでしょうか。少なくなったけど、ここに来て一個知れたというのは凄いことやな…。

ストリートビューはこちら

日田バス,軒下吊り下げ

軒下系バス停まとめ

  • 鼠谷(五馬線/現役・標柱化)
  • 小坪尻(五馬線/経路変更による廃止)

  • 札町(有田線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 横畑(有田線/標柱化→コミュニティバス転換により廃止)
  • 下久木野(五馬線/経路変更による廃止)
  • 田の口(草の入江線/路線廃止)

民家壁式バス停まとめ

  • 下一ツ戸(出野線/路線廃止)
  • 出山(出野線/路線廃止)
  • 柚の木(出野線/路線廃止)
  • 荒平(出野線/標柱化→路線廃止)
  • 出野(出野線/標柱化→路線廃止)
  • 下釣(大野線/路線廃止)
  • 川原(大野線/標柱化→路線廃止)
  • 赤石小学校前(大野線/路線廃止)
  • 千丈橋(大野線/経路変更による廃止)
  • 塚田(本城線/路線廃止)
  • 東方(本城線/路線廃止)
  • 藤山(皿山線/停留所移動・再編による廃止)
  • 小松屋前(日田~森町線/2020年水害被災により休止中)
  • 中通り(山浦線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 妙大寺(山浦線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 田尻(田代線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 下組(筋湯線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 河原湯(筋湯線/コミュニティバス転換により廃止)