※ちょっとブレイク,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

行っとけばよかった、にはいろんな意味がある

人生は
「あれをやっとけばよかった、これをやっとけばよかった」
の連続なんですが、自分を振り返ってですよ。このバス停趣味において。
何度かバス停の廃止情報やらを漏れ聞いたりする時期。
「行きたいけど行けない!!」
時期って、もう直截的にぶっちゃけて書くと
「そんなことやってる立場と場合じゃないしそのためのお金も車も時間もない」
でありまして、そのことにはものすごく納得している。あの時得た体験も経験にも後悔はない。
「ここ行っときゃよかったー!」
って悔悟の念よりそれらがはるかに大きいのは納得しています。


でも、でもですよ。自分の中の小学生は納得いかないわけですよ。
「やだ!タイムマシン作る!!」
当然作れないんで、グーグルマップのスクリーンショットで我慢させてください。

大分県佐伯市のやつ


平成終わりに廃止になった上浦川線唯一の軒下バス停。あまりに美しいんで地図に星を書き込み勇んで向かったら、このバス停のみ経路変更で2015年ごろ?廃止になっていた。
あの時のガッカリ度は計り知れない…。
この旅館、割と泊まってみたいのだけどネットにはあまり情報がない。グーグルには外国人旅行者のレビューが一軒あり、かなり興味をそそられる。

あの猫バスオブジェでマスコミにも知られている「ととろ」の次のバス停。この路線「木浦鉱山線」も終点までほぼ軒下バス停・壁と何でもありの路線だった。今は特に面白みのない背の低い標柱が立っている。

ここもととろの次のバス停。
終点の木浦鉱山は軒下型だったが、ここに至ってはバス存命中にグーグルのストリートビューがたどり着けていない。
あと5メートル行けば見える位置まで来てるのが惜しい…。

存命中のととろバス停は実は場所が違っている。現役の姿は今グーグルマップで閲覧可能。
元々は用水路の上に立っており、いまは反対側の田んぼの上に移設され、桜の木が横に植えられている。

大分県竹田市のやつ


竹田駅からちょい北にある雉ヶ平線。2016年ごろに派手目の道路改良がおこなわれバス停施設も突如一新。

ことごとく新しい標柱に入れ替わっており

筆者の心をバキバキにへし折るゆかいな大惨事となった。ショックで写真一つ撮っていない。


これは竹田ではなく正確には豊後大野市。
このバス停、大昔ある登山ブログで存在は知っていたのだが、グーグルマップにあるのはつい最近まで知らなかった。
実は手持ちの道路地図でバス停位置が大幅に間違っており、おまけに道の改修で大きく道が変わっていて探索しきれていなかった。
「安藤」バス停自体、2016年に新道上にあるのを見たおぼろげな記憶があるが、あれは隣の貫原バス停だったのかも…。まだあるかもしれない、ということで早急にみに行きたい。なんやかんやで忙しくなる前に!!

こちらも豊後大野市。未確認…だったか、どうなんだか…。

越後交通,軒下吊り下げ

主流は小屋+ポールバス停

北野さんから送っていただいたバス停で、一個だけ新潟の越後交通のものがありました。

グーグルマップやら、バス停訪問系ブログを読みふけると新潟県には越後交通と頚城自動車にどうやら残存してる模様。

場所は長岡市。ここで扱ったものとしては今最北端か。

北陸ではほかに福井、石川、富山に残ってるようです。
軒下型バス停も含め、この「ポールを立てない」スタイルは本当に絶滅危惧種です。
立派な小屋があっても、バス停名と時刻表の標識は小屋外にポールを立てるのが一般的。
その勢いで小屋オンリーバス停(もしくは壁、軒下)を調べているんですが、東北地方に至ってはいまだに発見すらできていません。あんなに広いのに!!

大分県にみる小屋型バス停分布

以前ととろバス停建設の際「小屋を建てることが条件で、バス停開設に至った」という文献を目にしたことがありまして、おそらく昭和40年代くらいまでは小屋もしくは待合施設のある施設・建物が必須だったのでは、と推測したことがあります。
実際に大分の山間部のバス停は待合小屋のない場合は商店・公民館そばであることが多い。

不思議なものでこれが海沿いになると、普通のポール型が大多数だったりします。


大分には海そばを走る長大路線ローカルバスがたくさんあります。
海のそばだから錆びたり壊れやすかったりするんかな?とか、割と道路の改修が多いからその都度壊されてるんかな?とか。
ひょっとしたら海に見とれてて探しそびれているのでは説も間違いではないのかも?
とはいえ知人の乗りバス将軍ちょんびん先生曰く、
「佐伯の海のバス停は意外と普通に立っとるよ」
うーん…。

まあ、だいぶん回って肌で感じてきたことですが昔の待合室バス停が残ってるかどうかって、結局バス会社によりけりな事多いです。
大分はたまたま多く残ってるだけ、兵庫の北の全但バスもそう、奈良の奈良交通もそう…。
宮崎も熊本も長崎も普通に立ってるバス停ばっかりだしね!!むしろ、なんで大分だけなんだろうね…。

小屋型最北端、最南端

ところでこういう変わったバス停の極北地はどこかという話になると即答できます。
北海道礼文島スコトン

南は与那国島には昔は壁バス停があったっぽいんですが、今はないみたい。

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大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ

安心院~亀川線、惜しまれながらも廃止

今時珍しい山越えの長大路線で、山間を縫うように走っていた安心院亀川線が去年秋に廃止になりました。
一日2往復だったけど、割と大きな町(大病院がある亀川)を結んでいたから地味に需要があり続けたのは想像に難くない。

廃止前からこの付近のバス停はなんというか、かなり…

危険なまま放置されたバス停小屋。ほかの小屋に比べて建物は大きめ。

バス停名の「塔尾」の名前の集落はここからもうちょっと奥に存在していて、家は2~30軒ほど。
その住民たちの登校用に使われてたのか、中学~高校生と思しき落書きがびっしりあって昔を偲ばせる。

当時デジカメを買ってたんだが、使い方が全く分かっておらずピントはまるで合っていない。

このバス停、道路改良で取り残された脇道沿いにあって遭遇したときはたいそう驚いてしまった。
地図で見る限り、奥の塔尾集落からはこのバス停とは別方向への道路(広域農道)が開通しており、そっちに向かうほうが早く安心院の市街地に出られてしまう。
あらゆる意味で忘れ去られているような場所になってしまった、とみている。

廃止前の崩壊

友人のツイッターで廃止直前の画像を見て、驚愕してはいたんだが。


ようやく再訪が叶うことに。

廃止前

廃止後

ヤベエ!バス停の墓場じゃん!!

近寄ってみると何と時刻表が残ってるのを発見!!

晩年の一日2往復、通学線とも通院線とも…

この路線、待合室バス停ばかりで恐ろしく味のある路線であったのだが、結局白眉のバス停はここであったか…。
回っているときは隣の三反田が一番と思ってたし、ここは危険なんで標柱立てると読んだんだけど…最期は本当に意外。よく最後までこれで通したな!!

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JR九州バス,軒下吊り下げ

やっぱし犬鳴峠の近くは怖い

古き良きバス停を多数抱えるJR直方本線。
その中でも清水口の支線は結構由緒正しい路線で、その存在もずっと前から知ってた。
しかし悪名高き犬鳴村伝説を紐解いてみると思う訳ですよ。日本の法律がなんとかだとか。何とかだとか。
実際はのどかな村だし、表稼業でお世話にもなった某会社があるから実際はこの辺は何もないのです。
とはいえ…という訳で意外なことに認知して約30年めの初来訪。

なんか壊れてる!!

これ、トラックとかに突っ込まれでもしたのか。
この後バス停が普通にポールが立つだけなのか。
それとも…

いやー、このまま壁で放置されるってのもあるかも?

とか思ってた1か月後

あっさり、新しい待合所が立ってました。

バス停名盤はどこかにとっておいてたんかな…。


バス停待合室自体が最近減っています。
現実的な話だと、道路改良で減る傾向が高いです。これは仕方がないと思う。
待合室のスペースが道路施設に飲み込まれる形になると、道路設計上再設置はかなり難しくなります。


宮若市バスに移管されてるし、元々本数もそんなにないんだけど。この路線のバス停は結構維持がされていて(4つくらい立派な待合室型だったりするし)、このあたりの人々はきっとバス停があることを誇りにしているのだと思う。
でなきゃここまで維持しない。

残していただいてありがとう、地元の方々。そしてくだらない都市伝説で恐れをなしていてごめんなさいでした。

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JR九州バス,軒下吊り下げ

博多駅から一本で行けるタイプの待合室バス停

文字通り。

「福岡のバスといえば西鉄バス」というパブリックイメージがありますが、福岡市東区の一部と粕屋郡久山町、そして宮若市から直方市にかけてJRバスが展開するエリアがあります。
戦後まもなく開通して、西鉄バスとの路線競合にも勝ち。今時珍しい峠を越えて複数自治体をまたぐ長大路線・直方本線。
ルーツとしては峠のトンネルの開通とともに敷かれた路線です。

峠の名前は、犬鳴峠。
実はね、ここら辺のバス停は古い待合室があるって知ってたけど、割と怖くて行ってなかった。
本当にいるかどうかは知れないけどおばけも怖い。が、何よりやはり「心霊スポット扱いしてからくさ(方言・~してからに)!!フンガー!!」って怒られるのではないかとも。

西鉄じゃないからこそ残ってるこのタイプのバス停

西鉄バスって、バス停が結構豪華なんですよね。ほかの地方じゃ見ない太さと頑丈さがあるよね!

左がJRバス、右が西鉄なんですが西鉄やっぱ手が込んでるんだなあ。
このバス停施設にちゃんと出資をしているところがアリアリとわかるとこからも、なかなか昔のような待合室バス停が残りにくいというのがわかるというもの。刷新しちゃうんですよ。
実は西鉄の待合室型、福岡市に隣接した那珂川町(現那珂川市)に、昭和末期くらいまで散見されてたんですよ。一個は平成ぎりぎり残っていたんじゃ…。まあその頃なんて写真に残そうとか思いもしませんでしたけどね!!
一部は軒下型に復活してるし!!これとかこれとか!!

いや、まあ西鉄のような事業者のほうが正しい在り方かもです。ただ古いものを大事に手入れするタイプの事業者も、それはそれでよいかと。
倒壊したのをそのまま、とかいう例もありますしね、こことかちゃんと手入れはあるんだろうしな…。

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奈良交通,軒下吊り下げ

軒下バス停の本場は多分奈良

以前全但バスの写真を撮っていただいた北ノさんから、結構な数のバス停の画像を頂きました。
奈良、新潟、岡山などの画像を頂き感動しています。
自分ももっといろんなところに行かねば…。四国も行きたいし、北陸も行ってみたい。
まず最初に行きたいのは全但の兵庫と…何はなくとも奈良です。

ナニコレ珍百景って超有名な番組がありまして、奈良の軒下バス停が紹介されたことがあります。

民家とバス停が合体した光景を発見!!
民家の軒先にはバス停留所を示す標識がかけられ、
壁にはバスの時刻表と路線図が貼られている…。
かなり昔からあるという、この合体したバス停、
村の人口が少ないため、バス停と民家をセットにするのが
当たり前だったために生まれた光景なのでは…と考えられる。
ちなみに、今ではバスを利用する人が少なくなったため、
バス停以外でも、手を挙げればバスに乗り降りできる
自由乗降のシステムをとっているそう。
ナニコレ珍百景公式サイトより

そうです!現在進行形で軒下バス停が息づいているのは、多分奈良県が一番では?
ポスト、公衆電話、お店。その軒下にバス停。

場所は奈良盆地の南端からちょっと山に入ったあたりか。

軒下バス停の原体験

この固定記事の中でまえがき的に書きましたが、大分の「湯坪」という場所で軒下バス停に遭遇したのが最初です。
その20年後に訪れた時にあった湯坪バス停は

当時遊んでた小学校グランドの中に待合室ごと移設されていて、軒下にバス停を下げていた商店には木戸が下ろされていました。

右の建物ですね。よくお菓子を買っていました。福岡の町でちょっと前に販売が無くなったガムが置いてあって、毎日物珍しさに買って食べてたの思い出します。道路より土間が下のほうにあって、記憶と合致している…。

このバス停の写真貰った時、その時の記憶がふわっと蘇ったんですよ。
住人たちがそこを行き交ってて。たまにバスが止まって。
この小さな集落だと、本当にここが町の表札みたいなものなんだなって。

なおこの路線(奈良交通22系統…でよいのだろうか)、前後ずっと軒下バス停らしくグーグルマップ見て驚愕中。
一遍行こう、絶対。

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JR九州バス,軒下吊り下げ

JRバス福間線、廃止に

福間~福丸という起点と終点が異様にややこしい路線がありまして、もはや福岡県内では数少なくなった峠越え路線であり宗像郡内では唯一、JR(旧国鉄)バスエリアの確率に寄与していた路線でもありました。
この路線が2019年9月に廃止。

JRバスエリアは待合室の残存率が高いとは知ってた。昔ケータイはないし、ましてカメラなんぞ持ち合わさなかった時期に何度かこの路線に乗ったり、仕事で訪れたりはしたのだが。
せいぜい記憶にあるのは、その当時の福間東中学校か鞍掛バス停が「待合室型で変わってるな」と感じたものしかない。
ので、実はこの近くに引っ越してドライブで散策したらいきなり「発見」してしまった。まったく気づいてなかったのね。

  

晩年のこの付近のバス停、「本木入口」「筑前本木」は同じ型の待合室が立ってるんだけど、どっちも標柱が置いてあったりするから畦町だけこれなのは謎。

 
バス停由来の畦町宿からは少し離れていて、昔の地図を見るとひょっとしたら元は宿場町の中にあったのでは?という想像が。
しかし年期は入っている。

  
峠越えのバス、もう少ないんですよ。なかなか複数の自治体が絡むと、赤字路線支援が難しいとか何とかで。
太川陽介の出るバス旅の番組でもたびたび問題になってますよね。山が越せない、というやつ。
その流れでも割と長い間残っていたこの路線、JRバスとしては廃止にはなりましたが。なんと山を越えた宮若市の支援で峠越え部分含めて存続しました。
しかし福津市側は大幅にバス停を削減されここは廃止に。今は停留所の名盤と時刻表を外された形で、廃駅のようにひっそりと残っていたりします。

ストリートビューはこちら(存命中)

日田バス,軒下吊り下げ

高速道路を使わないときに使う「シタミチ」というやつ、それも200番台以内の国道だとそれ沿いにあるバス停を見かけると「ま、こういうバス停は安泰でしょ」と思いがち。
だから、いつまでもあると思っておざなりな写真しか残っていないことになる。

こんなふうに

ちょっと、撮っとくかって感じで

わからないものなんです。バスの廃止ってのは。
ちなみにこの路線は森町と筋湯線を結ぶところで、写真撮った10年前は恒久的に残っていそうな感じであったのだけれど。

実は去年10月辺りから大分の北部では猛烈な廃止の嵐が吹いたみたいで、特に耶馬溪付近の路線の廃止が発表になったのには驚いた。
法事やらでばたばたしてた頃だな・・・。まあ、バス停どころではない日々だったので気付く訳がない。しゃーない。
 
これとか今「立ってる」んだろうなあ。
こないだの取材旅行の際、実は何も知らずその付近も再訪する腹積もりだったのだけど、とある事情で大分~湯布院を1.5往復する羽目になってしまって、ガソリン代ケチるために断念。

まあ、行かなくてよかった。落胆してたろうから。

大野竹田バス,軒下吊り下げ


ごめん。現存する軒下バス停はもう現れないと思ってた。ノーマークだった。
そんなわけで豊作だったのにいそいそと写真撮らざるを得なかった久保線から待望のニューカマーが登場です。

ちょっとトリミングしたら、水木しげるの漫画に出てきそうな雰囲気になった。

一日2往復らしいです。

もう雰囲気からして夕方写真撮ったら、おっかないと思いますよこのバス停。
例え停留所の標柱が新しく立ったとしても。季節は初冬。春とかに撮ったら雰囲気も違ったかな。

いやー、それにしても凄いところだった。これもいそいそとしか撮れてないんだよな。
そういや少し思い出したけど、久保線撮ってる間中ガソリンの残量もずっと気にしてたんだった。山深くて高低差あったしな、まーしゃーない。

全但バス,軒下吊り下げ

バリクバヤン!!
いや、よくわからないがこのバス停の前の写真にこんなのが挟まってた。
やっぱり本格的軒下バス停ってのはそうないもんなんです。

場所は和田山からの支線です。よふど温泉の手前。
路線表を見ると「イオン」が凄い存在感をかもし出す路線です。
廃墟感パねえな…

フォルムも好きだけど

この旧道感もたまらんです。
全但バスの軒下民家バス停って、大分や富山で見られるものと違って「商店系」が少ない。
一般民家のほか、公民館や消防団詰所など公共施設の軒下が多いことに気付きます。これは結構不思議。