西鉄バス・筑豊,民家型,軒下吊り下げ

この形状はほかにどこもない謎のバス停

ある日、ツイッターのタイムラインにこのバス停の写真が流れてきてビックリ。
というのもその何日か前そこを通ったりしていて、
「そんなバス停あんなとこにあったん!?」
と驚愕。

道路の向こうは町立病院で…

ばっちり軒下バス停やん!!

ここの存在は真面目に知らなかった。
友人のブログを丹念に過去ログ掘ってみたら、ちゃんと紹介をしていて
「うぬー、ちょんびん先生に気軽に『いつもブログ見てますよ!』とか言えなくなっちゃったぞ!!」
と今冷や汗をかいています。

このバス停は片側。向こう側に立派なバス停があるので、この存在は気付かれなくても仕方なし…。
とりわけ驚きなのがこの四角いプレートで。

他地域でもこういうの見た、とかそういうのがまるでない。
昔を知る地元の証言があれば変わってくるのでしょうが、自分の(数少ない)知見では初めて。

西鉄なのか、国鉄なのか

このバス停のこの路線、かつては国鉄バスとの並走・競合路線でした。
宮田から山を越え、かつて国鉄室木線のあった室木駅を経由して鞍手駅まで並走、この鞍手町の中心街の中山地区の真ん中に向かう。

この通りの先は郵便局。
炭鉱住宅が由来と思しき家並みの住宅街と商店街が広がっています。
1976年に宮田の貝島炭鉱が閉山するまでこの周辺の炭鉱社宅街から宮田行きのバス路線は結構あって、ここのほかにも七福ストアーのあった路線もその例か。

よく見ると「西鉄」の「西」の辺りに激しく書き換えられたような跡が見えなくもない…んだけど。
しかし「国鉄」→「西鉄」に改めたと仮定して、JRバスの時代まで継続してここ乗り込んでいたはずだから、現役時に書き換えるなら「JR」入ってないとおかしくね?とも思うし。

※直方市の内ヶ磯近くのバス停にある路線図跡、昭和末期。ここには間違いなく乗り入れていたのがわかる。鞍手病院~鞍手駅は未開通のころか。

ここ、バス路線をただ追跡するだけのドライブ趣味の人(※自分もそうなのである)には格好の場所で。(この向かい側の)鞍手病院のポール見ただけでも普通にテンションが上がるとこではあるんで、この存在は盲点だったなあ。いやはや、ただただビックリ。

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宗像市ふれあいバス,ポール型

その船は多分時を超えると思う、いや超えるんじゃないかな

一から説明するのは野暮かもしれないので、知っている前提で進めていきます、日曜7時から日本テレビで長年放送されている「鉄腕DASH」の企画「ダッシュ村」。
村のほうが健在だったときは「ダッシュ村はあそこにある!!」なんて盗撮記事が写真週刊誌等に出たりしたものでした。

…。
ええー。

ダッシュ村のバス停です。
宗像ふれあいバス、そんなとこも行くんだね…。

宗像市の市民農園。シルバー農園だそう。
それに「ダッシュ村」とつけるネーミングセンス、大したものじゃないでしょうか。
いや、市民に浸透したという点でTOKIOが大したものなのか。
このダッシュ村には城島も長瀬もいませんでした。山●メンバーはどうだろうか…
軽く調べましたが宗像市赤間にお住まいじゃないと参加できないそう。くそう、松岡にはなれないのか…。

宗像ふれあいバスは壁式もあるんですがここは普通に立ってます。バスはダッシュ村の駐車場で折り返し。

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堀川バス,古バス停,民家型,軒下吊り下げ

撮ったつもりが撮ってない場所は結構ある

福岡県南部の堀川バス。
「道路地図に書いてある終点バス停に行ってみたい」というとっかかりからバス停探訪を始める人にとっては、これが格好の被写体といえよう。
まあ単純に自分がそうなだけなんだけど。


板屋。

的別当。

小椎尾。
三つとも廃止になってしまったな…。
今残ってる堀川バスの山間部路線、正直どれもオススメとしか言いようがない。
矢部川の渓谷を横目に、美しい茶畑を縫うように走るバスの車窓は最高で、羽犬塚~柴庵なんて今時1時間半と、胸やけがするくらいの所要時間もある。

ここの十籠車庫なんかも軒にぶら下がってて面白いけど昔写真撮りまくってたしどっかHDDにあるよね…

いや、待てよ?撮ってなくね?
てなわけで

行ってきました。

十籠車庫は何度でも立ち上がる


バス停部分は車庫の一角に。

十籠車庫はデカイ。いかにも昔のバス車庫といった風情である。

道路反対側。商店が並ぶ中。
このあたりは川にすぐ山が迫る地形で、平野は本当に数少ない。
そこまでしてこんな山奥に…と考える人もいるだろう。かつての人は「南側斜面」が欲しかったのでは?と思う。
十籠の周辺はそんな南向きの斜面に集落が並んでいるし、そういえば廃止になった的別当(椋谷)経由の路線もそういう集落ばかりを結んでた。

堀川バスの軒下バス停。

窓口跡。大昔は西鉄も来てたらしい…。

大分のバス停でもおなじみの軒下バス停用金具。

旧星野村、ここ20年での水害被災はかなりのもの。
ここまでの国道が陥没したり、川にえぐられたりと何度も運休や迂回運行の憂き目にあっている。
7月の熊本や大分を襲った大水害、この土地でも結構な量が降ったらしく、ここの下流域で斜面復旧工事に数か所遭遇した。

それでもこの本数維持されている堀川バス。
割と凄い経営努力だと思っている。

今気づいたことを言っていいかな?
堀川バスのマークって、カタカナの「ホ」なのか…!!

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大野竹田バス,軒下吊り下げ

神社とバス停は相性がいい

大分県の竹田市のバス停、大分県最後の軒下バス停の聖地。
割と待合室も残っているが、路線によっては全く残っていなかったりもする。まあこれに関しては道路改良の兼ね合いなんかもあるだろう。


そんなわけで道路改良何それという風の狭隘路線・久保線のバス停の、独自区間一発目のバス停。

一個目から神社境内の待合室。

神社はかなりの地域でバス停の施設を置くのに使われます。
特に終点の折り返し用地に、神社の一角使うのは本当によく見る。
ああいう用地って、古くは地主がこの町にバスを通すために寄付したり借地にしたり…という逸話をよく聞く。

何よりバス停といえば「〇〇神社」は定番なんだけど、ここは単純に集落名。まあ奥の集落はまだまだ続くし。

一日2往復。

大事にしたい、どこに連れてかされるんだ感

バスの魅力について泉麻人さんが著作で「ふいに『おっ』という路地に曲がりこんだりして、いったいどこに連れて行かされるのかと身構える感覚」を挙げていました。
まあ自分が今乗りバスをあまりしないのは身上からくる貧乏性が抜けないのがあるんですが、元来はそういうバスに乗るのが大好きなわけですよ。

ちょうど久保線が比較的広い道を通る刈小野線と別れて、大きなカーブを迎えた場所。
もちろんこっから先も狭隘なわけですよ。

先に行くとこんなバス停あるし。

バスで行ってみたい、という気になる路線だけど、平日2本だもんなあ…。

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筑前町地域巡回バス,電柱,壁型,擁壁

バス停の名前はざっくりしていないといけない

以前紹介した「神ノ原貯水槽前」のバス停名、かなりモヤっとくるものがある。
そのモヤッとの正体って何だろう?
バス停の名前の王道「〇〇前」の〇〇に入るには、「貯水槽」は微妙じゃないか?という話です。
個人商店でギリギリ、貯水槽はバス停の名前を背負うには微妙に格が足りないのでは…と。
このもやっとするギリギリ、いくつか集めて今後このブログで紹介しようかとも考えています。

今日のはそのもやもやの境界より少し、ざっくりラインより下のほうにあるバス停です。
嫁と南のほうに出かけた時に発見。電信柱貼り付けの時点で、名前以前に特殊案件。

草生した防火水槽、いいねー!!ナイス田舎!!

いや、この名前。
ふ…付近。
付近て!!

コミュニティバスのバス停名には期待大

平成から日本中にできたコミバスですが、バス停名はかなりフランクというか適当なものも散見されるようになり。
いわゆる「珍名バス停」を収集する人々にとっては
「これは、何が『面白い』の基準か見極める時代になったぞ…」
と戦々恐々ではないでしょうか。

一応筑前町のコミバス路線表を見たところ、これレベルのモヤモヤするネーミングは「玉虫お寺前」辺りだろうか…(※個人の感想です)。
さて、このバス停なんと生意気にも。

道路の反対側が…

民家の壁式!!

しかし付近交差点!!

しかしバス停オーラゼロの一角だ…まあまだ歴史の浅いコミュニティバスなんてそんなもんだなあ…。

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おのみちバス,壁型,民家型

それは10年くらい前に見たウィキペディアに遡る

ウィキペディアで「バス停」を調べると、昔軒下のバス停出なかったっけ?
いまのその項目では最早そんなもんあったっけな感じなんですが、一応ワイも調べてみた。

んー、やっぱあるね!!
詳しくウェブアーカイブの資料を見ていると2014年の8月には差し替えられているらしいが、確かに存在した。
場所は広島県尾道市。
そして、所要(音楽事)で山口県の岩国に用事がある次の日に、夫婦で行けるチャンス到来。
行くしかねえじゃん!!という訳で行ってきました。岩国から3時間くらい下道かけて…


…うわあ、どこだよ…

事前資料とストリートビューで改めてみてみよう


事前資料はこれ。ウィキペディアのサーバ内に画像データだけ残っており、うまく検索すると閲覧可能。
そしてストリートビューである。

最近のストビュー、バス停はここと示してくれることもあるが…
これがまったくもって見当たらない。
夫婦による探索は困難を極め、またこの道路い狭いのに異様に交通量が多く。あきらめかけたその時についに発見した。

あ!!

目が合った!!

軒下バス停は建物が無くなっても死ぬ

ようやく発見、しかしこれは…

軒下ではないが、民家の壁型のバス停。

民家というかこの建物が何に使われているかはついぞわからなかった。

しかしまあ、あきれるほどに狭い。ただこの道路や路線自体はかなり尾道市内でも重要路線である。実際短い滞在でバスが2台くらい通った。
滞在時は「この建物の軒先に吊るしていたものか」と考えていたのだが、のちに調べを進めていると資料写真では隣の家の壁が今のものと異なることが判明。

…うん、車庫あるし違うよね…ということでもう少しストリートビューを見ていると

…あ。この左の空き地…
ちょっとストリートビュー動かすとわかるけど、家が一軒分駐車場になっている。
なるほど…この家に下がってた?

軒下バス停の変遷的に民家の壁に残されて存続しているのは意外。日田バスでさえもポール立てたのになあ…。
いつまでも残ってほしいです。

しかしウィキペディアに乗ってたあのバス停に会えなかったのは残念ですなあ…。

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宇美町ハピネス号,小屋型

「昔は普通の子供だっだのに」

宇美町は福岡市のベッドタウンの元炭鉱町。山中に取り残されたような公営住宅街が残ってると思ったら、それを取り巻くように工業地帯や新興住宅街ができたり。農村が残ってたり。
ここの町営バスはほか自治体のものにありがちな、既存路線の廃止代替目的が大変少ない。その補完的な役割で、町の施設を結ぶ福祉バス的な運行をされてるとこが多い。このバス停は数少ない西鉄バス路線の廃止区間にあって、実際バス停自体は現役時代はポールが立っていた。

まあ、待合所もそのまんまなんだけど…。

凄く立派なのである。洒落ているのである。

…何ゆえにここは壁に貼ってあるのか…。

導入で書いたとおりで、この宇美町の福祉バス「ハピネス号」はかなりの区間で西鉄バスと併用区間があるんですな。
併用区間では西鉄バスのバス停に間借りしてバス停を置いている。
このバス停は間借り先のバス停が廃止になってしまったため、バス停はやむなく…


と推理したがいかがなもんだろうか?

「昔から実はあんまり普通でもない」

とはいえこのバス停、ちょっと元々立地が特殊な路線のバス停だったのは多少語り継がなくてはならんと思っている。
ここは元々隣の障子岳から、上障子岳まで向かっていた支線の一バス停。上障子岳はここから2つ先でした。
まあ短い支線といえば短い。

上障子岳、と書くと普通の山の集落ぽいんですが、ここ何と山の上にある福岡刑務所と、その職員官舎の真ん中
本村の次は「官舎入口」だったし、上障子岳は刑務所の門の前。

大昔は一日5~6往復くらいあり、稀に出所者も使ってた…時代もありそうですが、この待合室ができたのちの晩年は一日1~2本程度の運行になってたしなー。

そしてハピネス号の経路的にここだけがバス路線の残ってるとこになり。今やここが刑務所一番近いバス停に…いや、もっと近いとこもあるのか?
昔は刑務所に併設して職員官舎の町があって、小さなストアもあったりしたんですが今は何にもない模様。それじゃバスもいらないわけだよおっかさん。

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JR九州バス,道路構造物一体型

記憶の片隅にあった軒下バス停

大昔、何かのイベントがあって宮田町に行った記憶があるんです。で博多駅からJRバス乗りました。
今考えると乗ったバスそのものも古めかしい、つばめマークの入ったバスでねえ。
その時、途中通りがかった脇田温泉のバス停見て
「あれ、大分で見た軒下バス停じゃない?」
って思ったような、古い記憶がある。


忘れてた記憶通り…なんだろうか…

ううん?

あれは軒じゃあないね…
でもこれ、分類的にはなんだろう?

本体は案内看板です。

自分の記憶では、温泉宿の軒にバス停がくっついてて、バスはその真正面に停まるイメージだったのだけど全然違う。
ここ、不思議とその一度しか訪れてないしな~。

福岡市内からバス一本で行ける数少ない温泉宿

脇田温泉の楠水閣(サイトはこちら)、風情のある観光地に乏しいとやたら言われる福岡都市圏でも割と穴場の温泉宿でしょう。
ただ如何せんここ、温泉以外本当に何もない。

大分なんかの温泉地と比較しても、ここはどうもなんだか思ったほど栄えてない感がある。お土産の直売所なんかも目立った感がなかったし。
自分もこの一角に長い間あまり立ち寄らなかった背景に、この温泉宿に手早く向かうにはかの犬鳴峠を越えるのが早いのですよ。
福岡人の犬鳴忌避って、少し前までは土着信仰並みの効力あったもんなあ…。これはネットの普及でだいぶんメッキが剥げた感はあります。
しかしこの温泉もそうだし、地元の人には営業妨害甚だしい話だよな。
本当の犬鳴村はダムの底。

正直福岡までは(犬鳴峠を越えて)案外アクセスよかったりするので、宿にするのは全然悪くない。
山越えれば都市高速と九州道のインターチェンジまですぐだし、過小評価されているかもしれないな…。

バス停はこの旅館の真正面の商店の一角にあります。
猫が店番してました。いつもしてるんかな。

…で、これは軒下なのか。いや、違うとは思うけど、何型なのか…。

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大野竹田バス,軒下吊り下げ

嫁が発見!たまごっち

「さあて、事前調査のバス停は回ったし、道の駅でも寄って帰るかあ」
と車を大分市内に走らせた直後。
「あれ?あそこバス停なくない?」
と嫁が告げてきた。え?


…。

マジか…マジだなあ…

珍しい、国道沿いの軒下バス停。


全但バスに結構ある、建物に待合室的な一角が併設されてるパターンです。

裏側はちなみにガソリンスタンドの小屋です。

路線としては竹田~長湯温泉線の久住廻りの路線。割と利用者は多いらしく5往復位走ってます。
沿線には秘湯が多く、某マツコ有吉さんの番組に出たような温泉もありました。

待合小屋の醍醐味「落書き」

バスの待合室には、通学用の路線として現役みが増すほど落書きが多く残ってたりします。
ここは割と現役なんかな…。


後の「ぎゃらりー」よりも先に…

この…なんというか…

こっちに目が行くのはなんでだろう?
よもや書いた子も、こんなブログに紹介されてしまうとは思うまいて…!!

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日田バス,壁型,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし

思えば出野線はこのバス停、下一ツ戸のインパクトが一番高かったな…。
最初に行ったときはここの隣人の方に撮影許可取ったの、よく覚えてる。その後テレビのナニコレ珍百景でも紹介されたらしい。
このバス停がこうなった経緯、詳細は昔書いた記事を見てほしい。

遠巻きに道路から俯瞰するとこんな感じ。とてもバス停を発見できるとは全く思えない。

一応今年、最末期に写真撮りに行きました。結局最後までこうでしたよ、このバス停。

これぞ日田バスのバス停。本当に惜しいバス停を無くしたよ。


その二つ先、荒平(2007年ごろ)。

そうだよな!!これが日田バスだよな!!

…なんと一年後に家が取り壊し!!

荒平付近、地元の方がたくさんの風車を置いている家がある。

これが結構壮観なので、ぜひなんとか映えを狙っていただきたい。

そのうちもっともっとグレードアップしたりするだろうか…。

日田バスバス停フルコース、出山バス停

出山というバス停、最初発見した際は


普通に民家の玄関のとこに貼ってあるだけのバス停だったんですよ。

日田バスの壁バス停の看板って3バージョンあります。
おそらく一番古いのが、隣の停留所の表記が入ってるやつ。

昭和50年代後半廃止の中津江村内と皿山線の一部にいくつか残っていました。
五馬線の「袋」天ヶ瀬の「小松屋前」に今なお現存したり、日出生線・山浦線などで見かけた黄色いマルハラ醤油バージョンはほぼ同時期だろうか。バス停名にふりがなが打ってあるやつです。

そして四角のバージョン。この四角のバス停プレート、実は日田バスの標柱って基本的に

丸型。そう、古い四角のやつは軒下か小屋にしか使ってないんですな。


出山って三つそろってたんですよね。

四角の標柱はつい最近のもの。日田バスと同じく福岡の西鉄バスの子会社化している、大分県のバス事業者・亀の井バスでも同じようなのを見かけたから、そういう流れだろうか。

最後の年。

壁にある時刻表、古いの多いぞ…。


十数年前の時刻表も貼ったまま…。

さようなら出野線


思えば日田バスのバス停を撮ろう、と再認識させてくれたのはこの出野線の終点星払が最初なわけで、その山のてっぺんから麓のこの深野までいろんなバス停で楽しませてくれた路線でした。
後の高架は国道210号線です。

バスの写真撮る前はバスセンターで貰える時刻表集めたりもしてて、この路線の時刻見て仰天したのもいい思い出です。
その頃に写真撮ってれば…とも思うけど、その時のケータイのカメラってしょぼかったよね…。
そもそも写真撮る趣味はおろか習慣がなくって。デジカメとかも持ってなかったし。

この深野のバス停小屋は早々に取り壊されたの覚えてる。
無くなるんだよね…。

バス、にまつわる遺構は本当に跡形なく消える。
まあ、この趣味の良さでもあると割り切って入るんだけど、こればっかしは仕方がないのだ。
いつか出野線の途中にある料理屋に、恩返しのつもりで食事に行こうと思う…。

ところでこのバス停、四角形の看板なんだけど…。壁だったりしたんかな。