宗像市ふれあいバス,発見難易度高,壁型

世の中にはいろんなものの前バス停がある

バス停の名前のテンプレートといえば「〇〇前」だと思う。
そういえば「となりのトトロ」のくだんのバス停も「稲荷前」だったし、そもそも大まかな地名より「日常目にしている何かの前」が付いているほうが確かにバス停っぽい。


ということで今日は住宅地の真ん中にある貯水槽の前バス停です。
こないだ紹介した「江口入口」の二つどなり。

貯水槽です。

前というのか、もうそのまま「貯水槽」でもいいような気もせんでもないが…。

宗像ふれあいバスといえば


こんな素敵なバス停もあります。ちなみに名残は地名、ダッシュ村は市民農園でした。

壁のメリット「道路占用許可」

こないだ某コミュニティバスのサイトを見ていたら「〇〇バス停のみ停留所標識がありません」という表記がありまして、ストリートビューで確認したことがありまして。とてもバス停置けるスペースなかったんですね、そこ。
最近の壁のバス停の新設案件も何件も見て思ったことなんですが
「これ、道路占用許可が下りなかったのでは?」
道路占用許可。土建屋廻りで仕事してたら道路使用許可とセットで取るでおなじみ。バス停も、国や自治体が管理する路上に置くのにこれが必要です。

対してこういう道路の外に置く場合。これであればその土地の所有者との話し合いに委ねられます。
こういう公共施設だとどうなんでしょう。まあ知らないけれど。

最近西鉄で出たいくつかの壁案件

下境農協



三条台前

あたりって、その辺の手続きで問題になったゆえの回避なのかも…?

このバス停、ストリートビューで見てみると猫がかわいいです。

ストリートビューはこちら

※ちょっとブレイク,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

柚の木(亀の井バス、大分県別府市)

2016年に竹田行った際の帰り道、道を間違えて変な場所に出てしまいレンタカーの返却時間を考えて断念したバス停。その時は存在していた。
別府を中心に展開する亀の井バスのおそらく唯一の軒下バス停だったのだが…

先日初めて立ち寄ってみたが予想以上の立地の凄さに感動してしまった。バスが通ると思えないような山道が続く。
在りし日を伝えるちょんびんさんのブログはこちら
廃止跡はユーバスという地元のコミバスの標柱のみが立っている。軒先は跡形もなく残念。

広平終点(祐徳バス、佐賀県鹿島市)

佐賀県南部に展開する祐徳バス。昔からある事業所なのに近年まで公式サイトがなかったことで(※マニアに)知られる。
長崎県県営バスとの県境乗り継ぎ路線や、珍名「1B」「2A」などのバス停、駅からそんなに遠くもない干拓地に延びるバス停2個分の支線新篭線(1往復)など、ローカルバス好きの心を久すぐる路線が勢ぞろい。近年路線整理が進んでしまって、それらの路線は廃止となってしまっている。
終点がごみ置き場にはっつけてある壁?バス停であった。

ここに至るまでにいくつか「広平」の名前が続いてこの「終点」。道路地図などにもこの名称が記載されていて、マップトラベラーの郷愁を誘ったという。2019年廃止。
よく見ると標柱の土台があったりするんで、ごみ置き場が標柱の代用だったりしたものか。かなり長い間この姿であったらしい。

竹の内(大分県大分市)


大分南部の旧道沿いにひっそりあった軒下の壁バス停。まだ残ってるだろうと先日行ったら残念ながら撤去になった後であった。
バス停はほど近い路地の中に移転、またベンチなどは残されており、バスが旧道部分に入るのは存続しているので狭隘路線マニア(※バスがわざわざ狭いとこに入るのをこよなく愛するみなさん)は安堵してほしい。
そもそもこのバス停の目の前の交差点から路線が分岐するんで、届け出とかが面倒なのもあるのだろう。キロ数変更とかあるだろうし…。

東中畑(福岡県宮若市)

旧JRバス直方線の支線、筑前日吉までの路線の終点近く。
小学校も近く集落があるのにバス停がない一角だと思っていたら…。
地元の人が道路わきで産直市を開いている周辺の小屋に時刻表みたいなものが貼ってあり、プレートなしのバス停なのかも…迄は知ってた。
いやいや、本当にこれバス停なんか!?様子見!!
とか思っているうちに標柱が新たに立った。
撮っておけばよかった…。

青のやつが問題の小屋。ストリートビューではつつましげですが、開いてる時は多少賑やかです。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

日田往還での発見

まだ日田バスのバス停を見つけたばかりでウキウキしていたころ。
日田バスのバスセンターでは時刻表が配られていまして、日田バスだけでなく大分交通の日田~中津のバスの時刻表が入っていました。
鉄道好きだと、1976年まで残っていた大分交通耶馬渓線の完成経路といえばわかるでしょうか。
この時刻表には気になる但し書きが入っていました。一日1往復の「伏木経由」。

行ってみると、今や国道からそれた脇道。1車線の狭い道路沿いに、集落から逸れてしまった山の中にバス停が。
これ見た瞬間に「え!こっちもあんの!!」となったのは言うまでもなく。


うーん、道はまだ先に続く。こうなったら先に行ってみようじゃないか。


おおお!やっぱりあんじゃん!!こういうバス停!!

日田市と中津市を結ぶ国道212号線が今越えるのは、大石峠のルート。トンネル等の整備で曲線が少なく向かえるルートはこちらであり、鉄道もおそらくこちらを通っていたと思われる。
もう一つの山越えルートはこの伏木峠経由で、江戸時代からの街道「日田往還」がルーツであるためか、峠頂上付近には比較的大きな集落が残っている。


坂ノ辻バス停。「伏木キャンプ場」の駐車場付近に存在した。
このあたりからなだらかな高原が続いていた。地図で河川を確認すると、分水嶺がこの高原上の伏木集落の真ん中に存在する。

ひょっとしたら知らぬまま消えていたのかもしれないバス停

この路線の廃止は割と早く、2012~13年頃だったと思います。
この時期、まあブログの前のほうを読むと色々あったのだなあと想像はつくと思うのですが、廃止だからとおいそれと出ていけないタイミングだったのは想像に難くなく。

ちょうどこの時バス停趣味の友人ができていまして、まあ「ほぼ西鉄バスの旅」のちょんびんさんなんですけど。
「壁とか待合室とかのバス停面白いね!!」
と言ってくださいまして大変励みになってまして。

この「足ヶ谷」探訪のちょんびんさんの記事もぜひ
彼はこの伏木線の最後あたりに写真撮りに行ったんですね。一緒に行きたかったなあとかは気分的にあるんですが、当時はしょうがないねー。

さて、彼からブログに書かれる前にメールか何かが来たんですよ。
「ジマさん!まさかの壁バス停発見しましたよ!!ありました!!」
「えーーー!!」
まさかの廃止直前まで見落とし!!
彼の記事「杉山」。

誰にも看取られずに消えた壁バス停、もっともっとあるんだろうなあ…。そんなことを考えさせられたあの日でした。
実際地図上だとこの隣にある「仮屋」バス停とか記憶が全くないよ…。

ストリートビューはこちら


※この付近にあったらしいですが、今はもう何も見当たらないです。

全但バス,軒下吊り下げ

全但バスは最後の楽園だと思う

北ノさんから全但バスの取材に行っていただいた写真をいっぱい眺めているんですが、真面目にこれが嫌なことがあるとかなり癒される内容で。

こんなバス停が2~30個あるんですよ!!しかもグーグルで見たら未収録のもまだまだあるんですよ!!
そんなわけで今日はこの民家の納屋?の軒下バス停。

遠景で見てると最早民家。
いやー、全但バスがすごいの、こういうのがいっぱい現役なんですよねー。
大分県のどこそこが廃止で無くなっただの、自治体転換でバス停壊されただのをここ何年もずっと聞いてたからさ…
壊される気配が皆無ってのがまたね…。

このあふれる現役感がまた羨ましい。
バス停は京都との県境にほど近いところ。旧但東町の出石から奥藤という集落まで伸びる路線の、終点手前。

民家バス停の魅力は「今や残ることが奇跡」

大分県のこういうバス停のなくなり方は大変シビアでした。
家の改築で。バス路線の廃止で。これがいともたやすくなくなってしまうのです。
多くのそれを看取ったここ10年を考えると全但バスは凄い。

この家が納屋を改築していたら?自治体がこの路線に補助金を出さなかったら?
いろんな奇跡がこのバス停にはおそらく積もっていたりしますが…
このバス停から連続3つくらい民家だったり待合室だったりするし、この周辺の人々はまだこういうのが珍しい、という認識はないのかもしれない。それはなかなか羨ましい話です。

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JR西日本バス,軒下吊り下げ

関西のアドバイザー、北ノ君からメールが来た

「ハローミスタージマオ。このメールは君が読んだ後消滅しない。」
とかいうやり取りは一切なく、京都の北を適当に走ってたら発見したよ!という旨の文章とともにこんな素敵なバス停写真が。

「京都市の北西の山間部、北山を走るJRバスです」
とのこと!!
京都。
画像検索やグーグルの調査などで、京都府は結構な量で待合室バス停が眠ってるのを知っている。
というかこの京都北部は、一昔前の大分のごとく待合室バス停が現役で大量に稼働しており。この地域に住む人々からすれば、こういうバス停を特殊だのと表現していたら笑われるのではないかという状況である。

しかしここは軒下バス停。
しかもこの名盤の文字をよく見ればゴシック系のデジタルフォント化されていて、近年に新調されたのがよくわかる。
ここは、この路線がどういう生い立ちか調べてかかろう。

栄光の国鉄バス京鶴線

ここを走る路線は現在こそ京都~周山(京都市右京区)を走っている路線だが、かつては国鉄バスの京都~福井県小浜を結ぶ路線の一部であったようだ。現在こそ高雄・京北線と名乗っているが、県境にそびえる堀越峠を目前にした鶴ケ岡(現京都府南丹市)までのこの京鶴線、小浜から南に延びる名田庄線を直結して、一日数本程度長距離直通バスが運行されていたようである。

高速もない時代、こういう下道の長距離輸送バスは日本中にあって、その名残のような路線はいたるところに散在している。
このバス停もまさにそう。
このバス停の付近の国道(162号線)は超大トンネルが走っており、この集落付近は長らく旧道部分となっている。道路の拡幅もなく、昔のバス停施設がきれいに取り残ることができたのだろう。このあたり、ちょうどJR九州バス直方線の脇田温泉付近のバス停の残り方と重なるところがある。

この美山町あたり、民間の京都交通との路線競合などもあり割と国鉄バス直方線の宮田町・若宮町と同じような勢力図になってるのが結構興味深い。交差する形で互いの勢力に越境してるような勢力図になっているのが見てて楽しい。
この付近の待合室バス停(※軒下・壁は精査しないとわからないがあるのでは?)の残り方は尋常じゃなく、逆にこういうバス停は関西の文化なのではという疑念も。関東になると本当に少ないし。
古いバス停施設の残り方についても、国鉄~JR・もしくは民間バス会社からのコミュニティバス化の時期が福岡県のそれ及び大分県の佐賀関線・臼三線辺りともずれている。いわゆる小泉構造改革以前の移行である。この辺も影響しているんだろうか。

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大分バス(佐伯地区),小屋型

旧道に佇む盲腸線



佐伯市エリアはバス停の施設更新が結構まめなほう。
ほとんどのバス停がちゃんとポールを立てている。

なんでここは珍しいほうだろう。

三重町と佐伯を結ぶ国道沿い、峠を越えてすぐの脇道を登っていくとすぐに見つかる。
地図を見ると「あ、こっちは旧道か」とわかる。

ダイヤは減りに減った結果現在は朝ここ発のバスが1本のみ。ここにたどり着くバスは存在しない。

小学校の通学が一番の用途なんかね…

狙い目は旧道

この集落、ちょっと上には大きな石材所がありトラックがひっきりなしに通る場所。

とはいえ結構な通行量の国道の本線から外れてしまっているので、寂しい集落になっているのは否めない。

旧道のこういうとり残った部分は旧来のこういうバス停が残ってる確率は高い。
これは数多くを見てきた経験則でもあるし、道路工事の際に引っかかって待合室や建物が取り壊される確率が低い、というのも意味する。
改修工事、拡幅、まあ道が新しくなるのはいいことだし、実際バス停も新しくなることのほうが自然な在り方だと思う。
たまたま少ない数が残る、くらいがちょうどいい。

そういえば珍しくここ、グーグルのストリートビューが到達していないんだよね…。


ここを出てすぐの話。メガソーラーの中に消えて行った…

西鉄バス・筑豊,民家型

目指せ吊り下げ式待合室…のはずが

直方市の内ヶ磯線という路線。国鉄バス線の生き残りであり、西鉄と違った形で運営されてきたせいかバス停も独特。3つくらい待合室が残ってるはずなんでとりあえず撮っておくかという気分で向かったんだが…

お!?

前見たとき待合室はこの道路の向こう側にあった…はず。

でも…

なんかこのバス停昔からあった感じしかしなくね?
むしろこっちのほうがしっくりする感じで佇んでる…みたいな…

狭隘線ではこれが一番しっくりくるのかもしれない

このバス停前、恐ろしく狭隘な路線なうえに結構通行量多い。
車を停める場所がろくになく。いそいそと降りて、一時駐車の範囲にとどめるように留意してすぐ帰った。

西鉄バスの丸盤は結構珍しいのだが、数がないわけでもない。
形状の基準がキツキツに決まっているわけでもないようで、時代と場所によってかなりまちまちなのが西鉄の特色。

こないだ見た古門口と同様、割とフレキシブルに現場対応するところがある。

正直ここは壁で置くのが邪魔にもならず人も待つスペースができてよいのではなかろうか…

しかし絵面だけ見ると大分のバス停感半端ない。
西鉄だけどな!!

ストリートビューはこちら(旧バス停!!)


関係ないけど旧バス停内にいるおばちゃんがめっちゃ気になる!!

※ちょっとブレイク,小屋型,民家型,軒下吊り下げ

西ノ島(島根県隠岐郡西ノ島町)のバス停たち

昔は割と限られた場所しかなかったグーグルストリートビュー、今や割と日本中に広がって居て驚愕し仕り候。
正直こんな離島のバス停とかが見られるとか思いもよらなかったが、情報の集積の進化って凄いよね。

島根県の離島、隠岐の島の「島前」にあたる島の一つ。
西ノ島のバス停は基本待合室完備でバス停の柱が存在するのは数バス停しか存在しない。壁・待合室のみがほとんどで、大分のバス停で見られる古いタイプの発展形がほとんど。バス停の分類学から推考すると、「標柱が出現しなかったまま進化したバス停文化の未来」になるのかも。貴重です。

西ノ島の壁型

西ノ島の待合室

西ノ島町営バスの公式サイト、路線表がとにかくかわいい。

岐阜バス(岐阜県美濃市)のバス停たち

最近発見したバス停群。
大分県と同じく昔の様式のバス停が残存している感じ。ただ絶滅寸前感は割とひしひしと感じる。

壁と軒下が連なっていてほぼ大分と一緒なんだけど、新品のバス停も沿線で割と見かけられておりいつまで残るかは正直わからない。

わかりやすい壁式

あざやかな軒下

電柱?交通標識?それとも変わった形の標柱?

標柱?それにしては場所が変

モザイク処理されているバス停名。なお名前は蕨生局前バス停。

富山地方鉄道(富山県魚津市)のバス停たち

富山地方鉄道の魚津地区を中心に軒下バス停が散在している。

富山のものは魚津以外の分布はまだ不明。

こちらは魚津市の東蔵線。
前の道路は地図で確認すると現在拡幅中で、ひょっとしたらもうなくなっているのかもしれない。

黒部市の路線。割と連続で残っている。

終点の池尻は立派な待合室完備で美しい。

岩国市生活交通バス,小屋型

はるかなる島根県への道

前回の続き
岩国の北端の一歩手前、錦町の北にて。
山口県のバス停は大体標識ポールがあるものばかりと思っていた自分の眼に

突然現れた待合室オンリー型のバス停。
しかもここ、上下線完備です。

こちらは行先としては島根県六日市、寂地高原の方向。

清流線とは錦川鉄道のこと。
沿線通るだけですっごく風情あって正直乗ってみたくなった。
なお当日は嫁の「えー」という一言で断念!!(※オタクの結婚あるある)


待合室は町内掲示板のよう。

窓の外の錦川、本当にきれいで飽きない。

国鉄岩日線と国鉄岩益線

ポール標識のないバス停、福岡県内だと旧国鉄バス(直方本線)のエリアに集中して存在します。
このバス停のあるエリアは旧国鉄バス岩益線が走っていたエリアです。岩は岩国、益は益田。瀬戸内海と日本海の本州縦断線だったと聞きます。
ここから先のバス停のいくつか、六日市方面や寂地登山口方面に待合室のみバス停が残っています。

1973年(昭和48年)の時刻。寂地登山口の名前も出てくる。

もともと国鉄バスは鉄道が予定される空白地にまずバス路線を、というコンセプトで日本のあちこちに路線を敷いています。
ここは未開通であった国鉄岩日線のために。のちに錦町まで開通した岩日線は開通目前、国鉄再建法のために途中で頓挫。
90%完成していた錦町以北は、錦川鉄道に移管されても開業を見込めず日の目を浴びることはなく。一度も汽車の来ない駅だけが2~3駅残される結果に。
そしてのちに、国鉄からJRに引き継いだこの付近のバスも1990年代末期くらいに順次廃止に…。

錦町の駅から未成線を使ってトロッコ列車的なものを走らせてる「とことこトレイン」というのが出てまして、次の未成駅まで行けたりするんですが俺が行った日はなんちゃら病原体のおかげで絶賛運休中。
河本のバス停は錦町を出て次の未成駅に向かう中間あたりに位置します。

「乗って残そう」の言葉の意味がかなり重い…。

次岩国に用事あるときは夏。今度はもうちょっと北まで行くかな…。

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岩国市生活交通バス,小屋型

岩国、それは広い

いろんな案件で岩国によく行きます。

ミーハーな鉄道オタクっぽく清流新岩国駅に。

錦川鉄道の終点!!

怪しさ満点の美川ムーバレー!!
(※バス停もあるよ!!)

岩国、ひいては山口~広島までバス停は僻地に至るまでちゃんとした標識が立ってることが多いです。

西中国地方はとにかくこの形のバス停が多い。複数事業者が採用しているし、いわゆる並走・競合路線の統一標識にも採用されている。
もともと広島~島根~山口の広い範囲で、国鉄バスと各地元バス会社が路線を競合しあっていた時代が長かったのも影響にあるのかな。


つまり「立ってるバス停」しかないと思っていたところがあります。
岩国、用事が朝10時前で終わって帰りに観光行くには早すぎると判明。
まあ前述のように錦川鉄道沿いに車で北上していたら…

標識ポールなし待合室バス停出現

え?あるの?


「岩国市生活交通バス」である。場所によっては「岩国過疎地域乗合バス」ともある。


予想に反して本数は結構多い。


ちゃんと時計はあってました。


「岩国市営錦バス」。岩国市に合併した旧錦町の町営バスが前身。合併して岩国市営錦バスになったのち、現在の形になる。

…さて、山口県は大半のバス停が立ってるのを確認した後これを見てしまうと「えっ?」となってしまったんだが、どうもここから先の、島根県境付近になると実はこういうタイプのバス停が頻出することがあとのグーグルストリートビュー調査で判明。
この時はガソリンの残量を考えてここで引き返さざるを得なかったのだが…。
次回に続きます。

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