大分交通・大交北部バス,ガードレール,ポール型,古バス停,崩壊系,道路構造物一体型

大分屈指の秘境路線のその後

かつて大分交通北部バスが中津市(旧耶馬渓町エリア)で運行していた樋桶山線。
朝上り1本、夕方下り1本の行って帰れないタイプの一日1往復運行。
そして中途のバス停は錆び落ちていたり

ガードレールに雑に括り付けられたり

果ては路肩に放置されたりと。

おおよそ5年程前に廃止になったこの路線、中津市のコミュニティバスとして存続はしています。
本数も一日三往復と大幅アップです!!


ビフォー


アフター


凄い!!ちゃんと立ってる!!

なお3本あるとはいうんですが、「金曜日」の文字通り一週間に3本です。
この耶馬渓地区コミュニティバス、日替わりでいろんな方面にバスが運行されるシステムですね。

初めて来た時度肝を抜いたこの終点も今は立派です。

折り返し場、当時からかなり手狭です。

もう行って帰れないダイヤとは言わせない…金曜日だけだけど。

この調子で途中のバス停も見てみよう


首が折れていると評判であった中の原。


綺麗です。白い花も祝福しています。

まあ、立派になって…。


バス停が完全に崩壊していた舞野。


コミュニティバスのバス停は置かれなくなっていた。

ちょっと離れた個所に新しい別のバス停が立っています。


擁壁に埋め込まれたバス停、下越。


撤去です。ここも現在バス停はなし。

バス停は本当に何もなくなるもんですねー。

こんな感じでくっついていました。


ガードレールバス停、二瀬。


…まあ、当たり前っちゃなんなんですけど何もないですな!!

一応橋の名前で確認。

家に帰って調べると、二瀬のバス停自体は存在してるようです。

ストリートビューで見ると圧巻

ここのバス停群はなかなかストリートビューで見ると圧巻で、ぜひずっと上まで辿りながらバス停を見つけてほしい。
2021年現在、まだ2013年のものが使われており現役時代のバス停が観れる。

都会ほど変化はめまぐるしくはないけれど、少しづつ工場が出来ていたり下流にカフェが出来てたりと、変わりゆく景色もあります。

北九州市営バス,壁型,擁壁,道路構造物一体型

狭隘+高低差の凶悪な住宅街でのバス停探し

知人経由で「この辺に壁型バス停あるよ」みたいな情報を受けてやってきた、福岡県北九州市若松区の住宅街。
事前に見た地図からすれば、駅の裏の山肌に広がった普通の住宅街に見えたけど…本当に長崎の裏手の住宅街かと思った。
とっ散らかったような住宅街の急勾配の裏路地をぐるぐる回ってやっと発見。

あった!!

おそらくこの周辺の住人のごみ集積場所の一角に、バス停看板も鎮座している。


バスは右の道に進むが、最終的には左の急こう配を登った先の方角へとさらに上の住宅地に向かう。

知られざる坂の街・北九州

北九州市はそこそこ平地もあるとはいえ実は大きな川がなく。
まとまった平地的な市街地は小倉北区の紫川近辺や、若松区の港周辺、八幡西区の洞海湾奥ぐらいだろうか。
あとはほとんどが丘陵地や斜面地の住宅街。
海岸沿いの平地に立った工場群のための住宅街が発展したということで、ほぼほぼ長崎のそれのような発展の仕方をしている。
ただ丘陵地が多いので、急斜面の箇所は比較的少ないのではあるが…。

そういった斜面地住宅街の交通弱者の買い物用に作られた路線。
路線図的には終端部分にループ線が設けてある格好で、ここを通過して若松駅方面に折り返す格好。

他のバス停はこの板に描かれた形のポールが立っている。
「貼る」を前提にした素敵なデザイン。

この付近にはほかに2か所くらいこの形状のバス停を発見した。とにかく道が狭い!怖い!!
もう、ここを撮ったとこで勘弁してください…。
あ、バスはハイエースが来ます。

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まだバス停はない!!

大分交通・国東観光,民家型,軒下吊り下げ

今のところ最後に見つけた軒下バス停

いやー、本当に残ってるとこには残ってると感心しました。
ツイッターで流れてきたバス写真で見てたまげました。俺の知らないところにもまだあるのか、と。
そういう訳で行ってきました。


ザ・旧道。
ここを見逃してた理由なんですが、本当にわずかな区間だけ旧道が残っていたのに気づかなかったんですね。
あとは国東半島の南端で、さらっとしか廻ったことがなかったこともある。

絵に描いたような軒下のバス停。

国東半島の下、別府市の北隣にある日出町のバス停です。

日出町福祉センターから日出駅を通り、杵築との市境近い小浜までの路線。
コミュニティバスとしての側面もあり、この路線は200円均一で乗れます。4往復。

ポスト・宅急便の取り扱い看板も現役であり。
正直こんなにいかにもな軒下バス停が現存してることがあたしゃ嬉しいよ…

ここ、ちょっと集落外れに道路がつけ変わっているのだけど、まあ歩いて行けない訳でもない距離の場所で。
でも残ったのだからありがたいことだけど、運転手はこの道幅は大変だろうな、と思うのだ…。

今大分県下で軒下に残っている現役バス停、今自分が把握しているのは
竹田の白丹栗戸三砂岩鼻両家
日田の
こんなとこでしょうか。少なくなったけど、ここに来て一個知れたというのは凄いことやな…。

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長崎バス,壁型,擁壁,道路構造物一体型

生まれるべくして生まれた感ある壁型バス停

長崎市と言えば?と質問をされた場合、皆カステラだの今日も雨だの三遊亭小遊三こと福山雅治を思い出す人が大半だと思います。
これがバスを愛する人々(※意味深な表現)になると一斉に
「長崎と言えば狭隘路線!!」
になるのは必定なもので、その狭隘路線ってなんじゃいって話です。
ざっくり言えば「おい、このバスこんな細い道通るんか?大丈夫か!?」ってなる路線の意味。

長崎の道路事情は壮絶です。斜面地に家がぎっしり立ち並んでおり、歩道のない二車線道路をうねうねと登って行くような集落や、ニュータウンはざらにあります。当然ですがそれらの道路をバスが縫うように走っていく。
学生の頃長崎に住んでいたのですが、生憎いたのは割と平地を結ぶ路線沿い(時津)であり、それらの路線に乗る機会なぞほとんどはなかったのですが。一度だけ親戚のうちに遊びに行くのに西町~虹ヶ丘~滑石の路線には(わざわざ選んで)乗りました。今も変わらぬらしいヤバい路線です。
こちらは江平線、かなり長崎市街地の山の上の方に登っていく路線です。

そしてよく擁壁を見てみると

まさしく壁バス停!!
だいぶ前の長崎バスの公式サイトで実はこのバス停は紹介されてまして、
「近年の道路事情を鑑み、安全性を考えて省スペース型のバス停を数か所作りました」
省スペース。いい響きです。


あー、これ確かにバス停の柱を立てるのに置くスペースがない。
路側帯(白線の車道より外の部分)、大体の道路で0.5mあるんだけど、側溝の幅から見ると0.45mくらいしかないのでは?
こうなると、柱自体が歩行者の障害物になるとみなされて、設置の認可が下りなくなると判断されてもおかしくない。

しかし、長崎バスってどんな狭い道にも割とバス停だけドンと立ってるもので。
最初このバス停を探そうってなる人にとっては、予備知識ゼロだとビックリするんじゃなかろうか…。

流石長崎市内のバスで、本数はそこそこあります。
長崎バスの壁式のバス停は今のところこの路線だけにあるものしか把握していない。
本当にこの路線だけなのだろうか?
それとも今後増えるのか?

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川崎町ふれあいバス,ガードレール,壁型

既存建造物をあえて捨てるスタンス


かつて、西鉄バス田川の安宅線のあった場所。

現役時代のバス待合所発見。
この時の停留所名は「道ノ下」。

ベンチもこれだし

こんな施設あるんだし…とも思うんだけど。

現在のバス停は集落の入り口のとこに移動。
対向車線の金網のお陰で見えづらいが待合室は中央上白い建物の真下辺りにあります。
豪快に捨て去っている。

ふれあいバス、何度か経路を替えているようでストリートビューだとこの位置には(2013年ごろは)何もない。
小峠、上安宅みたいな上流の終点付近にはあるんだが、旧安宅や旧不動橋付近は何も見当たらなく、果たしてここが経路だったのか…

言われなきゃわからない系のバス停最高である。
こないだ紹介した上安宅のバス停も、西鉄バス時代の過去写真と今を比較してもう一度検証たら今と全然違うとこに立ってたぽく。
この「わかりにくいバス停」マニア道的には、なかなか川崎町ふれあいバスは掘りがいがあるな…。

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川崎町ふれあいバス,フェンス,ガードレール,壁型

約束の地KAWASAKI

いやー、確かこの辺よね…と思いながらたどり着く。


福岡県田川郡川崎町、大分の県境にも割と迫るほどの奥地であり、かといって大分県に抜け道として盛んに通るところでもない。
北九州~日田というルートで俎上に上がるか、上がらないかといったところか。

今ではそんな街だが昭和中ごろまでは炭鉱で大変栄えており、鉄道線の分岐駅もあった。
2005年まで西鉄バスの支線が走っており。それらの廃止時に三井四坑奥谷他写真を撮りに行った記録がある。

うーん、上安宅どこだったもんか…

現在のふれあいバスのバス停はこれ。

当時の安宅支線、登ってみると案外バス停が大ぶりでがっしりしていた印象。
「バス停が大ぶり」って表現、西鉄バスのバス停標柱を何個も見てきた方ならばなんか納得していただけるんじゃなかろうか…。
絶妙な時期に設置されたとこだけ、丸看板ででっかいやつが残ってたよね。

廃止のお知らせ。

川崎ふれあいバス、バス停発見難易度ヤバい件

さて現在この安宅線、ふれあいバスはもう一つ山の上の「小峠」まで行く。

川崎ふれあいバス、バス停に関してはかなりミニマムでどのバス停も見つけるのには慣れを要する。
なおタレントの小峠英二氏の出身は田川郡だが、大任町とのことでここからは微妙に離れたところの出身。

季節が良ければこのあたりは彼岸花の鑑賞スポットなんだそうで、来年は是非タイミング合わせて伺ってみたい。

3往復、なんて本数だ。(※一応言うだけ言ってみたかった感)


これもなかなか手慣れてないとバス停発見が難しい。というか沿線のバス停はほとんどが電柱やらガードレール、壁設置のツワモノだらけなので気軽にオリエンテーリング気分が楽しめるぞ。

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上安宅

小峠

筑前町地域巡回バス,掲示板型,発見難易度高,壁型,民家型

山と山と山の間の集落

こないだアップした三箇山公民館の隣のバス停。


三箇山の集落を抜けると、山と棚田が見え。人家もなくひたすら、山と棚田しかない景色。
櫛木の集落は県道から脇道に入ったところに、森に埋もれるように佇んでます。
これがなかなかの秘境感。道も非常に狭い。

こんなところに、正直バス停があるのが凄いと思った…。

隣の三箇山と同じく、掲示板に貼ってあるスタイル。こちらはちょっと外に貼ってますね。

本数うんぬんよりここまでバスが来てるのは正直偉いと思う。
新品のこのバス停プレートも嬉しい。地元の集落の人はどう思っただろう。
おそらく有史以来ここにバスが来たことはなかったと思うのだ。

バスでたどり着いても自家用車でたどり着いても、ここは相当の達成感があると思う。
ここへのアプローチはバスが来る夜須町から、飯塚市側から、朝倉市側からどれを通っても峠を越えなくてはいけない。
果たして何もないかと思いきや、この盆地近くの集落にカフェとソフトクリーム屋さんなど飲食店は少しばっかしあるそう。


それにしても正直筑前町のバス停、こんなに面白いとは思わなかった。まだまだ掘ったら独特のたたずまいのバス停が見つかりそうだ…。
いろんなところのコミュニティバスを掘ってみねば。

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筑前町地域巡回バス,壁型,民家型,終点

久々・本格的にバス停を探しに行く旅

バス停探索用にグーグルマップ・ストリートビューと併用してナビタイムの地図検索を使っています。
グーグルのもの、バス停の位置情報は一部は載っているものの、地方ではまだまだ未掲載。
それで調べて、ナビタイムにはバス停あるけれど、グーグルのストリートビューには載ってないものが出てきました。
車で行ける場所なんなら、ぜひ行ってみようではないか。


この辺が、ナビタイム地図でバス停があるあたりでストリートビューでは何も見えなかった箇所。

…んん~

ばっちりありますな!あっさり発見!

家に帰ってもう一度グーグル見てみると写真には全くなく。…でも、この時期下のほうにある別のバス停は載ってたりして。この撮影日と思しき日はなぜなかったかは謎。延伸とかかね…。

落ち着いて写真に撮ってみてみると、大分・日田バスの川原と同じ趣のあるバス停。

この待合スペースといった風情も最高。
福岡県の筑前町曾根田という集落にあります。バス停の名前にある小字・坂根を冠した古民家料理屋もある模様。

平成生まれの味のある景色はまだまだ埋もれているはず

今まで日田バスなんかの景色に魅了された中で、「昭和っぽさ」とかそういう言葉のくくりの下でこれはいい、と評価してきたものはたくさんあったのですよ。

でもこのバス停、生まれは2013年とかでバリバリの平成。

実際この景色とか、自分も流石にノーマークで本当に驚いた。
まさかこんな風景が令和の世に…という感じではあるんだけど…

まあバス停自体のフォントを見たらこれやっぱ令和やねえ。

バス停としてはここが行き止まりの場所。この風景の向こう側にバスは下りていきます。

ストリートビューはこちら(※当然バス停は何もなし)

おのみちバス,壁型,民家型

おれの尾道三部作(2作目)

結局尾道ではバス停を三つしか写真撮らなかったのですが(※あと一つは珍名)、これを聞いて
「尾道まだ軒下バス停あるよ!!」
って返事が来たら絶対次行く。でも多分、この二つだけじゃないのかなという確信もないでもなく。


狭い。この道通って、複数の路線が隣の市町村の中心に向かうバスもあるくらいのメインストリートだった時期もあるようだ。
中国バスのウィキペディア項目見ると、この路地を通るバスの光景は一番の「見どころ」であるようだ。

発見したのは同乗中のうちの嫁。これは美しい、軒下型のバス停。
まあ柱立てるような道幅じゃねえよな。

尾道の港のほう向け

山のほう向け

尾道市営バス時代最後の遺産なのかな?

ここを走る路線は旧尾道市営バスのエリアに中国バス(本社は隣の福山市)が乗り入れる形で運行されていたようだ。

味のある古看板に

市営バスの看板。

おのみちバスは市営の第三セクター移譲。運営の移譲が起きるとバス停というのは施設更新が行われるもので、大分県で軒下・壁型が大量絶滅をしたそれと同じように、おそらく生まれ変わったのであろうおのみちバスのキラキラしたルビー色の標柱が市内のあちこちに立っておられました。

ここと、隣の長江二丁目はなぜ生き残ったのであろうか。まあ生き残ってくれたことは自分のような酔狂な人間には感謝でしかないし、一度訪れただけに過ぎない異邦人にはまだ見つけられもしない生き残りがいるのでは、という希望もはらんでいるのであります…。

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筑前町地域巡回バス,掲示板型,発見難易度高,壁型

有史以来バスが来れなかった集落は多い

田舎の地図を眺めていると、隅々の集落って有史以来一度はバスが訪れているんじゃ?と思うことはあるが、実際はそんなもんじゃない。
バスが通れるような道路が開通するのと、自動車運輸輸送の発展の歴史とその衰退のタイムラインと。田舎では特にそれらがアンバランスで、特に地形的制約が発生する峠の奥の山間集落や、海岸べたの閉ざされた港町なんかにはバスが訪れたことなんて一度もない、みたいな集落は山のようにある。


朝倉郡筑前町、旧夜須町の三並付近は昔からバス空白地。「西鉄100年史」の1968年ごろのバス地図でもぽっかり空白になっているし、かといって集落も道路もないわけでもなく、小学校や郵便局なんかもあるし人口が皆無という訳でもない。
そこから先のさらに奥、三箇山・櫛木などの集落のある夜須高原に至っては、ゴルフ場や国立青少年自然の家なんかが建っているがここにバスが通ったという話はほぼほぼ聞かない。地勢的に道路はこの集落を流れる川の沢を下った隣の筑穂町(現飯塚市)側に先に開通してしまっているし、こういった行政境界線と地勢のアンバランスな集落はどうしても秘境化してしまう。

四方が山。

道の駅がある三並からつづら折りの峠道を15~20分くらい登って、たどり着くまで一苦労。
まあそんな集落です。

…ここのどこかにバス停がある、はず…

え?

掲示板内バス停という新ジャンル

新ジャンルと言っていいのだろうか…

公民館の掲示板に貼ってあるという新しいスタイルである。

実際、ここが初めてという訳じゃなくって、結構日本中のコミバスでこれは出現していたりする。
ただ「コミバスの試用運転です!!」ということで各地区の公民館伝いにまず試験運行、みたいな流れでできたようなものがいくつか発見されていて、それらも本当にエクセル出力の時刻表だけが掲示板に貼ってあるだけという例のほうが多い。
ここのように本番プレート(※微妙に斬新な表現)をそのまま掲示板に、というのは初めて見た。
貴重な掲示板のスペースが恒久的なバス停の掲示に占用されておるがよいのだろうか。村祭りの告知とか、がん検診の告知とかはいいのか…。

そう思うと心なしか窮屈な掲示板にも見えてこないわけでもない…。
撮影後、下界の道の駅で、ハイエース改造のここ行きバスとすれ違い。あの峠道にこれから挑むんやな…と遠い目。

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