西鉄バス・筑豊,発見難易度高,壁型

何気に老舗の西鉄バスの壁貼りバス停

そういやこのバス停、昔から知ってはいた。


反対側は普通の待合室バス停なんだけど…

向かいの壁に

…!!

ひょっとしたらひょっとすると「こうなっちゃった壁バス停」では最古参の部類で。
実際福津市の東バス停よっか成立は古いと思うし、見かけたときは
「事故の後の臨時措置かな」
って思ったこともあるくらい。東がああなったのももう15年くらいたってると思う。同じくらいか?

場所は飯塚市の中心街から少しだけ離れた個所で、このバス停のほうが飯塚バスセンター行きのほう。だから、バス停的に待合室で人が待つシチュエーションは

こちらより

はるかにこちらのほうが高い。
このアンバランスよ…。
最近筑豊にまたこういう案件が新たに発生したらしく、今後は西鉄沿線もくまなく見て回らないといけないかもしれんな…。

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西鉄バス・筑豊,民家型,軒下吊り下げ

この形状はほかにどこもない謎のバス停

ある日、ツイッターのタイムラインにこのバス停の写真が流れてきてビックリ。
というのもその何日か前そこを通ったりしていて、
「そんなバス停あんなとこにあったん!?」
と驚愕。

道路の向こうは町立病院で…

ばっちり軒下バス停やん!!

ここの存在は真面目に知らなかった。
友人のブログを丹念に過去ログ掘ってみたら、ちゃんと紹介をしていて
「うぬー、ちょんびん先生に気軽に『いつもブログ見てますよ!』とか言えなくなっちゃったぞ!!」
と今冷や汗をかいています。

このバス停は片側。向こう側に立派なバス停があるので、この存在は気付かれなくても仕方なし…。
とりわけ驚きなのがこの四角いプレートで。

他地域でもこういうの見た、とかそういうのがまるでない。
昔を知る地元の証言があれば変わってくるのでしょうが、自分の(数少ない)知見では初めて。

西鉄なのか、国鉄なのか

このバス停のこの路線、かつては国鉄バスとの並走・競合路線でした。
宮田から山を越え、かつて国鉄室木線のあった室木駅を経由して鞍手駅まで並走、この鞍手町の中心街の中山地区の真ん中に向かう。

この通りの先は郵便局。
炭鉱住宅が由来と思しき家並みの住宅街と商店街が広がっています。
1976年に宮田の貝島炭鉱が閉山するまでこの周辺の炭鉱社宅街から宮田行きのバス路線は結構あって、ここのほかにも七福ストアーのあった路線もその例か。

よく見ると「西鉄」の「西」の辺りに激しく書き換えられたような跡が見えなくもない…んだけど。
しかし「国鉄」→「西鉄」に改めたと仮定して、JRバスの時代まで継続してここ乗り込んでいたはずだから、現役時に書き換えるなら「JR」入ってないとおかしくね?とも思うし。

※直方市の内ヶ磯近くのバス停にある路線図跡、昭和末期。ここには間違いなく乗り入れていたのがわかる。鞍手病院~鞍手駅は未開通のころか。

ここ、バス路線をただ追跡するだけのドライブ趣味の人(※自分もそうなのである)には格好の場所で。(この向かい側の)鞍手病院のポール見ただけでも普通にテンションが上がるとこではあるんで、この存在は盲点だったなあ。いやはや、ただただビックリ。

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おのみちバス,壁型,民家型

それは10年くらい前に見たウィキペディアに遡る

ウィキペディアで「バス停」を調べると、昔軒下のバス停出なかったっけ?
いまのその項目では最早そんなもんあったっけな感じなんですが、一応ワイも調べてみた。

んー、やっぱあるね!!
詳しくウェブアーカイブの資料を見ていると2014年の8月には差し替えられているらしいが、確かに存在した。
場所は広島県尾道市。
そして、所要(音楽事)で山口県の岩国に用事がある次の日に、夫婦で行けるチャンス到来。
行くしかねえじゃん!!という訳で行ってきました。岩国から3時間くらい下道かけて…


…うわあ、どこだよ…

事前資料とストリートビューで改めてみてみよう


事前資料はこれ。ウィキペディアのサーバ内に画像データだけ残っており、うまく検索すると閲覧可能。
そしてストリートビューである。

最近のストビュー、バス停はここと示してくれることもあるが…
これがまったくもって見当たらない。
夫婦による探索は困難を極め、またこの道路い狭いのに異様に交通量が多く。あきらめかけたその時についに発見した。

あ!!

目が合った!!

軒下バス停は建物が無くなっても死ぬ

ようやく発見、しかしこれは…

軒下ではないが、民家の壁型のバス停。

民家というかこの建物が何に使われているかはついぞわからなかった。

しかしまあ、あきれるほどに狭い。ただこの道路や路線自体はかなり尾道市内でも重要路線である。実際短い滞在でバスが2台くらい通った。
滞在時は「この建物の軒先に吊るしていたものか」と考えていたのだが、のちに調べを進めていると資料写真では隣の家の壁が今のものと異なることが判明。

…うん、車庫あるし違うよね…ということでもう少しストリートビューを見ていると

…あ。この左の空き地…
ちょっとストリートビュー動かすとわかるけど、家が一軒分駐車場になっている。
なるほど…この家に下がってた?

軒下バス停の変遷的に民家の壁に残されて存続しているのは意外。日田バスでさえもポール立てたのになあ…。
いつまでも残ってほしいです。

しかしウィキペディアに乗ってたあのバス停に会えなかったのは残念ですなあ…。

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日田バス,発見難易度高,ポール型,古バス停,壁型,崩壊系,民家型,終点

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし


星払(終点)

出野

北川
出野線で最初に撮ったのはわずかこの3枚だけ!!
日田バスのバス停、こんなに大掛かりな趣味になるとは人生わからんもんやね!!

星払バス停の思い出


星払、最晩年。


1枚目の写真ののちすぐに標柱が建て替わるので、あまり写真を撮っていない。
この末端の出野~田代橋~星払近辺は壮絶な狭隘路で、狭隘バスマニアの心をわしづかみにして離さない路線であった。

山を越えた先は「星野村」。そういえば佐賀の終着バス停にも「星領」があったし、山の頂上付近の集落には結構星の付く名前が多いのかもしれない。星の付く地名は隕石伝説という考察もあるらしいが、これ以上の深掘りは本職の民俗学の方々にお任せ…。佐賀の星賀は港だし…。


次の田代橋バス停。
普通のバスが入ってくると思えない狭さが続く。

日田バスのボロイ方の標柱。これが立っていると普通のバス停じゃんと落胆したものだったが、ひょっとしたらこの形で立ってるのも現在では少なくなっているんじゃなかろうか。

出た、往復できない1往復運行。最晩年。
田代橋は大正15年建造のアーチ橋。バス停前から分かれる村道にかかっており、石橋マニアにはそこそこ有名なんだとか。

北川バス停の思い出


この出野線、出野を出た後数少ない民家のある集落に時折バス停が…というくらいの森の中の人口希薄地を下っていきます。
途中の森の中に、分かれ道だけがあるタイプのバス停があります。

バス通り沿いには民家はなく、分かれ道の奥に民家があるタイプのバス停はよくあるんですが、この分かれ道のその先のなさそうっぷりはどうよ!

一応廃止直前だし(?)今年も写真に…

おお!柱が変わっちょるね!!

…。

岩が…。


北川集落はこの山道を相当登ったところにあったらしい。
現在グーグルの写真地図では家も何もなく、一応国土地理院の航空写真サービスを調べておそらく平成頭まで集落があったんじゃないの?くらいの知見を得た。昭和50年くらいのものには何軒か家が確認できる。

他出野線のバス停


首なしだった柚の木バス停。

グーグルマップで見るとさらに趣深い。

更に降りた「仏石」。

ちゃんと普通のバス停だって撮ってるよ…

この川は大丈夫だっただろうか。

画像庫に入った白焼け写真。
バス停小屋は藁置場…

伝里バス停でした。やっぱり藁置場!

もうちょっと下流の、下一ツ戸~出山周辺の思い出は次回!!

日田バス,壁型,小屋型

見つけられなかったバス停

このバス停はよく覚えていて、確か最初に行ったときはバス停を全く見つけられずそのまま帰ってしまった記憶がおぼろげにある。
何分にも日田バスはまだ経験が浅く、また「思い切ってバス停がない状態で運営してることもある」みたいな例を、ほかの事業者で見てしまったのもある。
「あ、ここはないんだ」
で帰る、何ともったいないことだろう。

日田バス皿山線の「下小竹」バス停の写真を撮っていました。この小屋は取り壊されて、今はモダンなものに切り替わっております。

赤石小前…?
なんでプレートを流用しているのだろう?
そもそもあのバス停は、以前行って…
そこまで考えて気付きました。まだ日田バス経験値が低い状況でしか、あそこは行っていない。
日田バスのバス停は、ないと思ったらある。とんでもない形で。


前回は、ここを通り過ぎて。

この先の三差路が、道路地図のバス停位置。格納庫があったり折り返すような広さがあったりするんですけど、何もない。
もう帰ろう…と思った時ですよ。

コイツと目が合ってしまった…!!


そう、最初に行ったときは「赤石小前」のラミネートもなかったんですな。

貴重かもしれない、この時は3往復ありました。

まだ存命だった赤石小学校。

ちなみに隣の川原を見つけ出すまでにはさらに半月かかります。

2020年4月、路線廃止に

家庭の事情で日田に行くのが年一回だったころ。ここはとなりの川原ともども、定点観測をした場所のひとつになりました。
以後何度か記事に(コチラ)しています。
廃止はやむ無しかなと思いつつ、今年も報道があった頃に行ってきました。


小学校は閉校に。
今は企業が入っています。


結局グレードアップしたのは時刻表がカラフルになったことくらいか。

最晩年は1.5往復。1/3ですなあ・・・。

ちょっとアップ、2019年の写真のもの。

そして相変わらずのこのバス停名盤…。

とうとう最後の最後までこの扱い。


ちなみにバス停の民家はずっと倉庫のようで、全く人気がなく。
ここ行けばわかるんですが本当に人の流れがあることが全く感じられない。
ちょっと登ったところに人家の固まった集落があり、そこに行くと農作業してる人に出会えたりします。
が、バス停のあるこの一角はひたすら無人。

バス停なき今、ここはどうなってるだろう。
ある意味何も変わらないだろうな…。


さようなら赤石小学校前。

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宗像市ふれあいバス,発見難易度高,壁型

世の中にはいろんなものの前バス停がある

バス停の名前のテンプレートといえば「〇〇前」だと思う。
そういえば「となりのトトロ」のくだんのバス停も「稲荷前」だったし、そもそも大まかな地名より「日常目にしている何かの前」が付いているほうが確かにバス停っぽい。


ということで今日は住宅地の真ん中にある貯水槽の前バス停です。
こないだ紹介した「江口入口」の二つどなり。

貯水槽です。

前というのか、もうそのまま「貯水槽」でもいいような気もせんでもないが…。

宗像ふれあいバスといえば


こんな素敵なバス停もあります。ちなみに名残は地名、ダッシュ村は市民農園でした。

壁のメリット「道路占用許可」

こないだ某コミュニティバスのサイトを見ていたら「〇〇バス停のみ停留所標識がありません」という表記がありまして、ストリートビューで確認したことがありまして。とてもバス停置けるスペースなかったんですね、そこ。
最近の壁のバス停の新設案件も何件も見て思ったことなんですが
「これ、道路占用許可が下りなかったのでは?」
道路占用許可。土建屋廻りで仕事してたら道路使用許可とセットで取るでおなじみ。バス停も、国や自治体が管理する路上に置くのにこれが必要です。

対してこういう道路の外に置く場合。これであればその土地の所有者との話し合いに委ねられます。
こういう公共施設だとどうなんでしょう。まあ知らないけれど。

最近西鉄で出たいくつかの壁案件

下境農協



三条台前

あたりって、その辺の手続きで問題になったゆえの回避なのかも…?

このバス停、ストリートビューで見てみると猫がかわいいです。

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宗像市ふれあいバス,発見難易度高,道路構造物一体型

魔窟に潜む紅いバス停

表題は「必殺からくり人・血風編」から取りましたので、特に赤くはないことを先にお詫び申し上げておきます。
先日の記事。

この前後のバス停を調べに行きました。
ところがどうやっても次の「江口入口」が見つからない。

一応この公式サイトを見て場所も確認して調べてみた。

ところが。これがマジで見つからない!!

これです。改めて行ってきました。

このへんか

この辺のどっからしい。
レッツトライ!!

本格探査行動、それはすなわち不審者

当たり前な話だが住宅地で人んちの壁やらを凝視してる人間などそれは不審者である。
ヤバい人である。


公式サイトの路線図の位置からすると家の辺りに何かあると踏んだが、ここには全く何もない。
反対側もただの草むらであった。
おかしい、何にも手掛かりないよ…

とミラーを見て気が付いた。
あれ?なんかくっついてね…?
え?

こんなとこおったんかワレェ!!

バス停って、運転手からも視認できるように作ってると思ってた。
そっか、歩行者に合わせて道路の内側に…って納得できるような、できないような!?

久しぶりに発見にてこずった…。地域住民はこのバス停どう説明するんだろう…。

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日田バス,壁型,崩壊系,民家型

川原バス停、大地に立つ

前回の続き。

2017年は車で来訪できず入美のバス停と2択になり。2018年は大きなライフイベントがいくつかあって結局行けず。
2019年の4月に向かいました。

立ってる!!

まずこれに驚き。いや、わかりにくいなら最初からやれという話です。
…ということは…

ああー!!

ついに

あの建物が!!

なんというかですね、こういうバス停に限らず昭和の遺産みたいなものって、無理やりにでも存続ってのはないと思っています。
いつか儚く消えるからこそ、愛でる価値があるものだと。
消えた時まで看取ることができた事が幸福だと思っています。

改めて思う、最初に見つけた時のインパクトなあ…。

2020年4月30日をもって日田バスとしての運行は終了しました

ご存じの通りコロナ騒動のおかげで、その最期を看取ることはかないませんでしたが。
4月の廃止の件は事前に新聞記事等で告知されており(記事では当初3月末の予定だったようである)、緊急事態宣言前に写真を撮りに行きました。

全体像。

例の建物のあったあたり。

最期の時刻表。

このバス停と付き合って気づけば15年。
毎回友人を連れて行って驚かれたり、地元の人に説明して「そんなに珍しいですかね?」と苦笑されたり。
思えば最初に撮影許可を頂いた木工所のおじさん、今も元気にしてらっしゃるだろうか?

とりあえず川原バス停の話はこれで完結です。今はデマンドバスが運行されるということで、また違った形のバス停になっているのかもしれない。
それを確かめにまた遊びに行こうかな。
大山の道の駅で鮎うるかでも買いに行くついでにでもね!!

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太宰府市コミュニティ・まほろば号,壁型,終点

市民センター駐車場の一角にひそむオーラ0バス停


これはここ数年出始めている話なんですが、せっかく自治体がコミュニティバスを作ったのにもかかわらず不採算で廃止になってます。
廃止された路線を継いだもの、要望で新しく作ったもの、様々ですが廃止の理由は大抵
「走らせてるけど乗らない」
なもので…。

前住んでたとこのコミュバス「マミーズまほろば号」(旧名)のバス停です。マミーズ撤退しちゃって空きテナントになってたけどね!
今は「東観世地域線」。高低差がある地域なのでその買い物用に作られた路線です。

この一角、バス停だというのを地元民もほとんど自覚してない。


いきいき情報センターは、太宰府市の市民センターですね。
後は西鉄五条駅です。
他にも西鉄ストア、駅前商店街、病院多数。

このバス停は引っ越して客観的にみている今
「え?こんなとこがバス停だったの!?」
感があるんだけど、日常にこれがある生活を送っていると
「もうちょっと目立つようにしないとなんだかなー」
だったんですよね、実際。

乗って残そう東観世地域線

こないだちょっと所用で太宰府市役所行ってきまして、ここもちょこっと寄ったんですが
「乗って残そう!」
みたいなフレーズを見て寂しくなりました。そうか、乗ってないのかあ。
いや、このバスが向かう東観世地区はめっちゃ坂の上にあるし高齢住人も多いので、残ってほしいんですけどね。

バス停とは全く関係ないんですが、このバス停の近くにはこんな耳鼻科があります…
引っ越す前は行ってました。いたって普通の耳鼻科です。

この耳鼻科もそうなんですが、日常目にしていてそのフォルムに慣れてしまっていると
「あー、このバス停めっちゃ目立たないよねー。この形が悪いんじゃない?」
とか普通に考えていた気がするんですが、遠くにあってしまうと
「あのバス停わかりにく過ぎて逆に面白い!!」
ってなるという。今更気付かされました、うむ。

ストリートビューはこちら(近寄れない)

日田バス,壁型,崩壊系,民家型

こんなところに先生が!?

前回の続き。
そりゃもう、発見した日は凄くテンション上がりましたよ。
そもそもこのバス停を探すとき、誰もが

このあたりを探すでしょうよ!!道路はバスの退避場所っぽい形状だし家の近くだし、ごみ置き場あるし!!
実際そのごみ置き場に貼られてないか調べましたもん!!

このバス通り沿いに山を登っていくと、この川原の集落が見えた瞬間って

この建物が目に映るんですね。

やっぱインパクト抜群だよな!!

なんか、その日は
「いやあ、まさかあの建物にバス停貼られてたら笑えるよな」
ぐらいの気持ちでそっと覗いてみたんですよね…。

「わあいた!!」って感じで。

発見してすぐに勇んで記事を書いたの覚えてます。
川原(大分県日田市)
この日はほかにも小坪尻下久木野を発見していたりします。豊作の日でした。

災害のたびに思う「あの建物大丈夫!?」

このバス停、ずっと定点観測に出かけておりました。
日田に友達をエスコートして見せに伺ったり。
何となく日田に遊びに行くと立ち寄ったり。

友人と訪れた時。

 
2015年に訪れたときの記事。

日田、ないし北部九州は災害の多い土地です。
豪雨災害は幾度となく起き、近隣の鉄道は寸断され。
台風被害もありました。
極めつけは熊本地震でしょう。日田市自身熊本県と接しており、震度5を観測した地域もあります。
そのたびに思う訳です。

ああ、あの建物無事かなあ、と…。

2016年の転機

2016年はその熊本地震の起きた年。


熊本地震直前に訪れたとき、バス路線の県道が工事で通行止めになっていました。
防災対策のない斜面を大規模に回収する工事のさなか。
詳しくはその個別記事で書いています。

日田市前津江町での観測された震度は5強。
果たしてあの建物は無事だったのだろうか。

…しかし個人的事情で再訪するのは2年後になってしまいます。
こればっかしは申し訳ない。色々あったんや!!色々!!

果たして川原バス停の運命は?次回に続く!!