日田バス,廃止跡

日田バス石飛バス停の角看板

日田バスの日出生線は、豊後森から宇佐四日市への峠道を北上していた路線。日田バスの運行エリアでは北東端にあたっていた。
ここは国道387号線が通っており、現在はかなり高規格なドライブウェイが開通している。
その開通前、昭和末期ごろの道路地図に掲載されている旧道には幾度か、旧バス停の遺構などないかと車で分け入ったことがあるが、幾度かの土砂災害でたいそう荒れていてまったく入り込めなかった。一つだけ旧柿木バス停のものと思しき小屋があったが、路肩も荒れていて近づけず結局お堂と判別がつかなかった記憶がある。

(ウェブアーカイブより、日田バス路線図

日出生線の末端部分は丸板のポールがきっちり整備されていて、非常に拍子抜けであった。

この小場、バス停看板が行方不明のまま廃止になった谷の河内の二つだけがポール以外のバス停であった。
軒先などに置くタイプの板を無理やりポールにくっつけていた老舞の例をみて、新道につけ変わった時にバス停をちゃんと新調したのだろうという推論を立てている。


まだ存命だったころ、日田バス森町の営業所車庫の片隅の草むらにこんなものが落ちていた。
日田バスの古いバス名板は基本的にポールが丸、小屋や軒先のものが角である。
晩年の石飛のバス停は国道沿いのバスカットに立っていたはず。これは旧バス停のものだろう。

角看板があったと思しき場所へ

その日は玖珠町の南エリアを見に行こうと企んでいたついでだった。
ストリートビューもない場所であったので、ちょっと見かけるぐらいでいいかと思っていたが…

奥の方からやってくる旧バス通りは、この地点の交差点で写真左の道に折れて日出生に向かう。
手持ちの道路地図によると、多少交差点より写真奥のほうにずれた形でバス停マークが記載されている。

そのゴミ置き場に…

バス乗り場が!!

日出生線の代替で玖珠町のコミュニティバスが走っているのは知っていたが、この石飛の旧バス停の場所にいたことは初めて知った。
が、この付近を探せど探せど時刻表は見当たらず。
家に帰って玖珠町のサイトで確認をしたところ、停留所の名前から「石飛」の名前はオミットされてしまっているようだ。「柿木」の次は「日出生本村」となっている。ここは脇道になり、入り込む必要はない。

バス停の看板だけが残っていて、再びバス停跡となってしまった一角。元々道路の分岐点ありきで設けられた立地であったようだが、集落の方も一軒だけ家が残っている状態だった。
図らずも、この小さなバス停の二度目の廃止跡を記録する旅になってしまった。多分、この存在などほとんどの人が気になんてしていないだろう。しなくてもいいと言ってしまえばそれまで…。

日田バス,軒下吊り下げ

日田バスバス停の定点観測地点

今度の年末年始、なんとライブ2本も入ってましてブログの更新はその間1~2本書けるかなって感じになっていまして、これを今年最後の投稿にいたします。
音楽やら別の作業が出だしているのでまた長期にわたって手がつかなくなる流れになってきつつあるし、やれるうちに書いておきたい題材を書いておこう…。


琴平町のバス停。
道は狭いが、今でも現役の県道。

田んぼが広がっているが実は市街地にはかなり近い。

ので昔から看板が多く取り付けられている。

最初にガラケーで撮った時の写真がこれ。

この時は前津江線のみがここを走っていた。

今年撮影。

今は「ひたはしり号」という市内循環線がここを通過する。
本数も増えて、昔に比べて整備もされている。

ベンチが真新しくなった!!

付近の景色はずっと変わらない。

ここは本当に日田の定点観測所みたいなバス停。

このバス停が潰えたら、日田も行かなくなってしまうんじゃなかろうか…いや、プノンペンラーメンという目的があるか。

相変わらず人気があるのかやっていて謎なこのブログですが、個人的にはやりたいからやっているブログなのでヨシ!!
皆さま良いお年を。

お蔵出し

2005年10月

2015年4月

2020年3月

2020年10月

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日田バス,軒下吊り下げ

軒下系バス停まとめ

  • 鼠谷(五馬線/現役・標柱化)
  • 小坪尻(五馬線/経路変更による廃止)

  • 札町(有田線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 横畑(有田線/標柱化→コミュニティバス転換により廃止)
  • 下久木野(五馬線/経路変更による廃止)
  • 田の口(草の入江線/路線廃止)

民家壁式バス停まとめ

  • 下一ツ戸(出野線/路線廃止)
  • 出山(出野線/路線廃止)
  • 柚の木(出野線/路線廃止)
  • 荒平(出野線/標柱化→路線廃止)
  • 出野(出野線/標柱化→路線廃止)
  • 下釣(大野線/路線廃止)
  • 川原(大野線/標柱化→路線廃止)
  • 赤石小学校前(大野線/路線廃止)
  • 千丈橋(大野線/経路変更による廃止)
  • 塚田(本城線/路線廃止)
  • 東方(本城線/路線廃止)
  • 藤山(皿山線/停留所移動・再編による廃止)
  • 小松屋前(日田~森町線/2020年水害被災により休止中)
  • 中通り(山浦線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 妙大寺(山浦線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 田尻(田代線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 下組(筋湯線/コミュニティバス転換により廃止)
  • 河原湯(筋湯線/コミュニティバス転換により廃止)

 

日田バス,軒下吊り下げ

日田バス最後の軒先型バス停

そうなのである。昔は「民家設置型のバス停といえば日田バス」だったのだ。それが…


最後の最後まで残っていたのは袋バス停

2015年に再訪したときの写真。
杖立方面に五馬高原の山道を縫うように向かう五馬線。所要時間は52分とかなり長めで、その終点の一つ前が袋。

由緒正しい軒下バス停。

珍しい、ダブル看板。

こちらが比較的近代の日田バスの角型待合室・民家取付用看板。
ちなみに標柱用の看板は丸型なので、区別をしているものと思われる。

廃止された日田バス玖珠地域の民家バス停などに多く残存していた、広告入りの古いタイプ。
昭和40年代ぐらいのものか?

時刻。ここ何年かは安定していて、この写真から5年経った今も2往復。

2020年、大きな変化が

さてこないだ訪れてみたところ。

お!!


お分かりになるだろうか、旧看板が取り外しに。

一応、健在なのかと思いきや。

今度は時刻表が見当たらず。どっか仕舞い込んでるのか?
はたまた、もう流石に柱を立てる準備中なのかも?
しかしこのバス停が無くなるのが先なのか、この路線が転換されるのが先か。この同じ日に川原赤石小学校見に行ったんだけど、マジで跡形もなかったもんな~、もうすぐ見納めだなあ…。

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日田バス,小屋型,終点

日田バスの老舗ローカル線も廃止に

4月に日田バスは路線の大量整理を行って、いわゆる定期便としての運行を大幅にやめてしまいました。
バス停を置いてそこに何時にバスが来て、という形態をやめるという話。
長らく日田バスの路線は、一日2~3往復になっても路線自体は維持を続けてきていたし、実質市の福祉バスとしての運行であったとしても公式サイトの時刻表には載っていたりをして維持は続けていたんですが、ついに力尽きました。


という訳で、その路線網の中で唯一壁型もバス停小屋型もほとんど存在しなかった山手線。
終点の小山小学校、沢伝いに登る路線なんだけど沢の入り口に新興住宅地と小学校がすでにあってですね。
こっから先登って行った先に小学校があるのなら、相当大きめの集落があってしかるべきとは思ったんだけど…

小学校(廃校)。

立派な学校なんだけど周囲には民家も人気すらナシ!!
昔一度到達したとき、あんまりにもおっかない雰囲気で写真撮らず帰った記憶がよみがえってくる…。

あれ、記憶と違ってて待合室あるよ?

立派なゴミ捨て場に変貌しとる…

田舎ではバス停すら姿を消しつつある

デマンドバスという形態の話。予約をしていれば運行という形で、となればバス停というのは必要が無くなる。
実際一切置かない自治体も出ています。

このバス停は廃止前に写真を撮ったのだけど、その後どうなったかはコロナもあって確認に行けてない。
ホームページで確認する限り「運行予約をしたら〇〇時頃にここ地域を運行します」というざっくりな配車予定のみがある。
バス停必要かといえば、うーん半分半分だろうか。それこそ公民館の掲示板で事足りると思う。

かつての国鉄の赤字ローカル線というものに対して、線路や駅を指さして「こんな大掛かりな物を作って」となったのと、またずいぶんとスケールがミクロすぎて貧乏くさい話。バスが廃止になるってのはなかなかどうしてこりゃ些末なスケールなんやなと感じさせられる。公共交通が無くなる無くならないという、切迫した事情ではあるんだが…。

バス停の裏には地蔵堂。

2~3軒の家が見えるんだけど、小学校もあったわけだから昔は栄えていたんだろうか、そう信じたい…。
一応道は峠に通じているようだけどこの道路は絶賛未整備で、おそらく乗用車で行ったらおっかなびっくりなとこだ!!

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日田バス,壁型,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし

思えば出野線はこのバス停、下一ツ戸のインパクトが一番高かったな…。
最初に行ったときはここの隣人の方に撮影許可取ったの、よく覚えてる。その後テレビのナニコレ珍百景でも紹介されたらしい。
このバス停がこうなった経緯、詳細は昔書いた記事を見てほしい。

遠巻きに道路から俯瞰するとこんな感じ。とてもバス停を発見できるとは全く思えない。

一応今年、最末期に写真撮りに行きました。結局最後までこうでしたよ、このバス停。

これぞ日田バスのバス停。本当に惜しいバス停を無くしたよ。


その二つ先、荒平(2007年ごろ)。

そうだよな!!これが日田バスだよな!!

…なんと一年後に家が取り壊し!!

荒平付近、地元の方がたくさんの風車を置いている家がある。

これが結構壮観なので、ぜひなんとか映えを狙っていただきたい。

そのうちもっともっとグレードアップしたりするだろうか…。

日田バスバス停フルコース、出山バス停

出山というバス停、最初発見した際は


普通に民家の玄関のとこに貼ってあるだけのバス停だったんですよ。

日田バスの壁バス停の看板って3バージョンあります。
おそらく一番古いのが、隣の停留所の表記が入ってるやつ。

昭和50年代後半廃止の中津江村内と皿山線の一部にいくつか残っていました。
五馬線の「袋」天ヶ瀬の「小松屋前」に今なお現存したり、日出生線・山浦線などで見かけた黄色いマルハラ醤油バージョンはほぼ同時期だろうか。バス停名にふりがなが打ってあるやつです。

そして四角のバージョン。この四角のバス停プレート、実は日田バスの標柱って基本的に

丸型。そう、古い四角のやつは軒下か小屋にしか使ってないんですな。


出山って三つそろってたんですよね。

四角の標柱はつい最近のもの。日田バスと同じく福岡の西鉄バスの子会社化している、大分県のバス事業者・亀の井バスでも同じようなのを見かけたから、そういう流れだろうか。

最後の年。

壁にある時刻表、古いの多いぞ…。


十数年前の時刻表も貼ったまま…。

さようなら出野線


思えば日田バスのバス停を撮ろう、と再認識させてくれたのはこの出野線の終点星払が最初なわけで、その山のてっぺんから麓のこの深野までいろんなバス停で楽しませてくれた路線でした。
後の高架は国道210号線です。

バスの写真撮る前はバスセンターで貰える時刻表集めたりもしてて、この路線の時刻見て仰天したのもいい思い出です。
その頃に写真撮ってれば…とも思うけど、その時のケータイのカメラってしょぼかったよね…。
そもそも写真撮る趣味はおろか習慣がなくって。デジカメとかも持ってなかったし。

この深野のバス停小屋は早々に取り壊されたの覚えてる。
無くなるんだよね…。

バス、にまつわる遺構は本当に跡形なく消える。
まあ、この趣味の良さでもあると割り切って入るんだけど、こればっかしは仕方がないのだ。
いつか出野線の途中にある料理屋に、恩返しのつもりで食事に行こうと思う…。

ところでこのバス停、四角形の看板なんだけど…。壁だったりしたんかな。

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2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし


星払(終点)

出野

北川
出野線で最初に撮ったのはわずかこの3枚だけ!!
日田バスのバス停、こんなに大掛かりな趣味になるとは人生わからんもんやね!!

星払バス停の思い出


星払、最晩年。


1枚目の写真ののちすぐに標柱が建て替わるので、あまり写真を撮っていない。
この末端の出野~田代橋~星払近辺は壮絶な狭隘路で、狭隘バスマニアの心をわしづかみにして離さない路線であった。

山を越えた先は「星野村」。そういえば佐賀の終着バス停にも「星領」があったし、山の頂上付近の集落には結構星の付く名前が多いのかもしれない。星の付く地名は隕石伝説という考察もあるらしいが、これ以上の深掘りは本職の民俗学の方々にお任せ…。佐賀の星賀は港だし…。


次の田代橋バス停。
普通のバスが入ってくると思えない狭さが続く。

日田バスのボロイ方の標柱。これが立っていると普通のバス停じゃんと落胆したものだったが、ひょっとしたらこの形で立ってるのも現在では少なくなっているんじゃなかろうか。

出た、往復できない1往復運行。最晩年。
田代橋は大正15年建造のアーチ橋。バス停前から分かれる村道にかかっており、石橋マニアにはそこそこ有名なんだとか。

北川バス停の思い出


この出野線、出野を出た後数少ない民家のある集落に時折バス停が…というくらいの森の中の人口希薄地を下っていきます。
途中の森の中に、分かれ道だけがあるタイプのバス停があります。

バス通り沿いには民家はなく、分かれ道の奥に民家があるタイプのバス停はよくあるんですが、この分かれ道のその先のなさそうっぷりはどうよ!

一応廃止直前だし(?)今年も写真に…

おお!柱が変わっちょるね!!

…。

岩が…。


北川集落はこの山道を相当登ったところにあったらしい。
現在グーグルの写真地図では家も何もなく、一応国土地理院の航空写真サービスを調べておそらく平成頭まで集落があったんじゃないの?くらいの知見を得た。昭和50年くらいのものには何軒か家が確認できる。

他出野線のバス停


首なしだった柚の木バス停。

グーグルマップで見るとさらに趣深い。

更に降りた「仏石」。

ちゃんと普通のバス停だって撮ってるよ…

この川は大丈夫だっただろうか。

画像庫に入った白焼け写真。
バス停小屋は藁置場…

伝里バス停でした。やっぱり藁置場!

もうちょっと下流の、下一ツ戸~出山周辺の思い出は次回!!

日田バス,壁型,小屋型

見つけられなかったバス停

このバス停はよく覚えていて、確か最初に行ったときはバス停を全く見つけられずそのまま帰ってしまった記憶がおぼろげにある。
何分にも日田バスはまだ経験が浅く、また「思い切ってバス停がない状態で運営してることもある」みたいな例を、ほかの事業者で見てしまったのもある。
「あ、ここはないんだ」
で帰る、何ともったいないことだろう。

日田バス皿山線の「下小竹」バス停の写真を撮っていました。この小屋は取り壊されて、今はモダンなものに切り替わっております。

赤石小前…?
なんでプレートを流用しているのだろう?
そもそもあのバス停は、以前行って…
そこまで考えて気付きました。まだ日田バス経験値が低い状況でしか、あそこは行っていない。
日田バスのバス停は、ないと思ったらある。とんでもない形で。


前回は、ここを通り過ぎて。

この先の三差路が、道路地図のバス停位置。格納庫があったり折り返すような広さがあったりするんですけど、何もない。
もう帰ろう…と思った時ですよ。

コイツと目が合ってしまった…!!


そう、最初に行ったときは「赤石小前」のラミネートもなかったんですな。

貴重かもしれない、この時は3往復ありました。

まだ存命だった赤石小学校。

ちなみに隣の川原を見つけ出すまでにはさらに半月かかります。

2020年4月、路線廃止に

家庭の事情で日田に行くのが年一回だったころ。ここはとなりの川原ともども、定点観測をした場所のひとつになりました。
以後何度か記事に(コチラ)しています。
廃止はやむ無しかなと思いつつ、今年も報道があった頃に行ってきました。


小学校は閉校に。
今は企業が入っています。


結局グレードアップしたのは時刻表がカラフルになったことくらいか。

最晩年は1.5往復。1/3ですなあ・・・。

ちょっとアップ、2019年の写真のもの。

そして相変わらずのこのバス停名盤…。

とうとう最後の最後までこの扱い。


ちなみにバス停の民家はずっと倉庫のようで、全く人気がなく。
ここ行けばわかるんですが本当に人の流れがあることが全く感じられない。
ちょっと登ったところに人家の固まった集落があり、そこに行くと農作業してる人に出会えたりします。
が、バス停のあるこの一角はひたすら無人。

バス停なき今、ここはどうなってるだろう。
ある意味何も変わらないだろうな…。


さようなら赤石小学校前。

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日田バス,民家型

日田の道路は川とともにある

現在進行形で、今日田の大雨のニュースが流れています。
小松屋前の隣バス停付近、天ヶ瀬の温泉街にかかる橋周辺の動画がツイッターで流れてきて、大規模浸水をしているようです。心配とか言うどころでなく悲しい。ブログ記事は10年前に書きましたが先日行ってみたら何も変わっていませんでした。おそらく今回の被災で撤去及び施設更新になるのではないでしょうか。

かなり昔、個人サイトブログの日記でコラム的に書いてた時代の記事のリブログ…というか、写真も新たに取ってるんでそのバス停の話をあらためて。


千丈橋。

2009年に再訪。潔いPC出力&ラミネートのみが貼ってるスタイル。
晩年は「石井自動車」の看板は外されとうとうシールと時刻表のみになり、日田バスでも屈指の手抜き壁バス停でした。

残念ながらルート変更により廃止になりまして、現在は跡形もありません。
元々大山川による断崖が続く渓谷がこの付近、3kmくらい続くんじゃ。当然人口希薄地なので、さしたる集落もないまま川の両岸に国道と県道がそれぞれに分かれて伸びたり、時折両者が合流したり。

このバス停の名の「千丈橋」は両者がいったん分かれ、国道が大山川を渡って対岸に行く場所であり、集落の北端でもあり要衝の場所でもあった…はずなんですが。

切れてます。

橋梁、道路、そして治水

現在はここからバス停1個分上流に行った「片瀬古」のバス停付近に分岐点は移っていて、そこには新しい千丈橋が架け変わっていまして、写真のガードレールの向こうにちらと映っています。
なぜそうなったのかを一応対岸も見て納得したんですがこれは単純に狭くて道路拡幅と、これ道路が川沿い過ぎて危険すぎる。

加えてこの川です。大山川、というのは筑後川の二つある源流の一つ。
上流には松原ダムと

下筌ダムという二つの治水ダムがある川です。


道路行政、ダム行政、公共事業に詳しくない方は時折悪いイメージを持つ人が多い。
都会に住んでいるとわかりづらいかもしれない。

橋が架け変わったこともあってか、このあたりは廃集落に近い状況。バス停のある民家にも当時もう人の姿はなく。
でも道路が架け変わったのは、このあたりの人のためというよりはダムのため、さらに上流の町や村のため。それはある意味では理不尽で残酷で、許容するだけでは寂しいけれど、それを責めるべきものではないし、抗うのは何か違うと思っている。
でもその寂しいという感情はこういうとこに書き留めたいな、という意思は持っています。
それは自然の猛威のような思いもよらない、抗いようのない災禍で失う悲しみよりは、幾分かましなのだな、という実感がしています。

どうかこの大雨が収まりますように。

なおこのバス停、廃止まで結局プレートも新しい標柱も何も立ちませんでした。ストリートビューの晩年の姿見ても思うが、ずっと廃止秒読みだったんだろうな…。

ストリートビューはこちら(※2013年は存在。廃止直前?)

日田バス,壁型,崩壊系,民家型

川原バス停、大地に立つ

前回の続き。

2017年は車で来訪できず入美のバス停と2択になり。2018年は大きなライフイベントがいくつかあって結局行けず。
2019年の4月に向かいました。

立ってる!!

まずこれに驚き。いや、わかりにくいなら最初からやれという話です。
…ということは…

ああー!!

ついに

あの建物が!!

なんというかですね、こういうバス停に限らず昭和の遺産みたいなものって、無理やりにでも存続ってのはないと思っています。
いつか儚く消えるからこそ、愛でる価値があるものだと。
消えた時まで看取ることができた事が幸福だと思っています。

改めて思う、最初に見つけた時のインパクトなあ…。

2020年4月30日をもって日田バスとしての運行は終了しました

ご存じの通りコロナ騒動のおかげで、その最期を看取ることはかないませんでしたが。
4月の廃止の件は事前に新聞記事等で告知されており(記事では当初3月末の予定だったようである)、緊急事態宣言前に写真を撮りに行きました。

全体像。

例の建物のあったあたり。

最期の時刻表。

このバス停と付き合って気づけば15年。
毎回友人を連れて行って驚かれたり、地元の人に説明して「そんなに珍しいですかね?」と苦笑されたり。
思えば最初に撮影許可を頂いた木工所のおじさん、今も元気にしてらっしゃるだろうか?

とりあえず川原バス停の話はこれで完結です。今はデマンドバスが運行されるということで、また違った形のバス停になっているのかもしれない。
それを確かめにまた遊びに行こうかな。
大山の道の駅で鮎うるかでも買いに行くついでにでもね!!

ストリートビューはこちら