宗像市ふれあいバス,発見難易度高,道路構造物一体型

魔窟に潜む紅いバス停

表題は「必殺からくり人・血風編」から取りましたので、特に赤くはないことを先にお詫び申し上げておきます。
先日の記事。

この前後のバス停を調べに行きました。
ところがどうやっても次の「江口入口」が見つからない。

一応この公式サイトを見て場所も確認して調べてみた。

ところが。これがマジで見つからない!!

これです。改めて行ってきました。

このへんか

この辺のどっからしい。
レッツトライ!!

本格探査行動、それはすなわち不審者

当たり前な話だが住宅地で人んちの壁やらを凝視してる人間などそれは不審者である。
ヤバい人である。


公式サイトの路線図の位置からすると家の辺りに何かあると踏んだが、ここには全く何もない。
反対側もただの草むらであった。
おかしい、何にも手掛かりないよ…

とミラーを見て気が付いた。
あれ?なんかくっついてね…?
え?

こんなとこおったんかワレェ!!

バス停って、運転手からも視認できるように作ってると思ってた。
そっか、歩行者に合わせて道路の内側に…って納得できるような、できないような!?

久しぶりに発見にてこずった…。地域住民はこのバス停どう説明するんだろう…。

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大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

軒下バス停の廃止後の世界

もう何個もの軒下バス停の最期を看取っています。

  • 塚田

    何事もなかったようになっていました。
  • 横畑

    建物自体が無くなりました。
  • 東の前

    跡だけは残っています。

などとまあ様々なんですが一様に「跡形もなくなる」が大半。

では標柱は立てているけど、以前使っていた軒下バス停が残ってたという月の俣の場合は?

大分県宇佐市の大分交通バス定別当線。去年9月ごろ廃止になりました。
…実際に行ってみた。

文化遺産としての軒下バス停の価値

残ったのは凄い。

大分の地元の人とこういうバス停の話をすると必ず言われる
「こういうの、珍しいですかね?」
もう珍しいを通り越して、もはや常態保存をどっかで求めるレベルなんだけど。
でも何故そうなのかといえば、この形式が姿を消してる実態があるからにほかならないわけで。なぜ姿を消しているかといえば、現代の生活様式に少なからずそぐっていないところがある訳。
そもそもバス停みたいな公共物を、私有財産の間貸しで設置する考えは今なかなか融通が利きにくい。
今やバス停そのものの設置で「ウチの前に置くな!」ってトラブルがあるご時勢でもある。

年季の入ったバス停

スプライト看板も味

バス停なき今、また新道路が川の対岸にあるためここは何軒かある集落の前の路地のただの一角になっている。
誰も気に留める人はいないだろう。

軒下のバス停の跡、この建物もいつかは朽ちるだろうけれど。ここにバスが通い、かつての集落の賑わいの一手を集めた場所であるシンボルが残されているのだから、これは結構幸せなことだと思っている。

ここはまだ幸せなほう。まだ遺産として残っているのだから。
何事もなかったように原野に帰る、あるいは街に呑まれる。そんな集落を何個も見ているし…。

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大野竹田バス,小屋型

出る予定のなかった峠道

あるバス停を見に行って、そこから先は行くあてもなく。面白そうだし峠でも超えてみるか、とずんずん進んだらこんなところに出てきた。

知らんよこんなバス停、と思うも一応場所を確認。豊後大野市の田中~貫原(道路整備以前は安藤)線のバス停か。
まあ一応写真は撮っておくか…
と、嫁が一言。
「あれ…」

え?

なんじゃあれ!こわっ!!

家に帰って知った驚愕の事実

実はこの路線、2016年に調べに行ったとき行かなかった場所の一つ。
道路がきれいに整備されていたので、バス停標柱の立て直しも進んでいたしここには自分の好きそうなの(※あいまいな表現)はなさそうだ、と判断してた。

…ワオ。

おそらくこれ、2016年の段階でもう立ってたと思うんだ。
だが、俺ひとりなら後ろのアレを発見している自信がない。

一日嫁が「してやったり」な顔をしておりました。
何というか、小屋は撤去じゃないんかい!!
あとプレートは持ち帰り厳禁やで!!

ツイッターで旅の報告してたらからあげのるつぼ先生が変なイタズラをしていた。

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※ちょっとブレイク,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

行っとけばよかった、にはいろんな意味がある

人生は
「あれをやっとけばよかった、これをやっとけばよかった」
の連続なんですが、自分を振り返ってですよ。このバス停趣味において。
何度かバス停の廃止情報やらを漏れ聞いたりする時期。
「行きたいけど行けない!!」
時期って、もう直截的にぶっちゃけて書くと
「そんなことやってる立場と場合じゃないしそのためのお金も車も時間もない」
でありまして、そのことにはものすごく納得している。あの時得た体験も経験にも後悔はない。
「ここ行っときゃよかったー!」
って悔悟の念よりそれらがはるかに大きいのは納得しています。


でも、でもですよ。自分の中の小学生は納得いかないわけですよ。
「やだ!タイムマシン作る!!」
当然作れないんで、グーグルマップのスクリーンショットで我慢させてください。

大分県佐伯市のやつ


平成終わりに廃止になった上浦川線唯一の軒下バス停。あまりに美しいんで地図に星を書き込み勇んで向かったら、このバス停のみ経路変更で2015年ごろ?廃止になっていた。
あの時のガッカリ度は計り知れない…。
この旅館、割と泊まってみたいのだけどネットにはあまり情報がない。グーグルには外国人旅行者のレビューが一軒あり、かなり興味をそそられる。

あの猫バスオブジェでマスコミにも知られている「ととろ」の次のバス停。この路線「木浦鉱山線」も終点までほぼ軒下バス停・壁と何でもありの路線だった。今は特に面白みのない背の低い標柱が立っている。

ここもととろの次のバス停。
終点の木浦鉱山は軒下型だったが、ここに至ってはバス存命中にグーグルのストリートビューがたどり着けていない。
あと5メートル行けば見える位置まで来てるのが惜しい…。

存命中のととろバス停は実は場所が違っている。現役の姿は今グーグルマップで閲覧可能。
元々は用水路の上に立っており、いまは反対側の田んぼの上に移設され、桜の木が横に植えられている。

大分県竹田市のやつ


竹田駅からちょい北にある雉ヶ平線。2016年ごろに派手目の道路改良がおこなわれバス停施設も突如一新。

ことごとく新しい標柱に入れ替わっており

筆者の心をバキバキにへし折るゆかいな大惨事となった。ショックで写真一つ撮っていない。


これは竹田ではなく正確には豊後大野市。
このバス停、大昔ある登山ブログで存在は知っていたのだが、グーグルマップにあるのはつい最近まで知らなかった。
実は手持ちの道路地図でバス停位置が大幅に間違っており、おまけに道の改修で大きく道が変わっていて探索しきれていなかった。
「安藤」バス停自体、2016年に新道上にあるのを見たおぼろげな記憶があるが、あれは隣の貫原バス停だったのかも…。まだあるかもしれない、ということで早急にみに行きたい。なんやかんやで忙しくなる前に!!

こちらも豊後大野市。未確認…だったか、どうなんだか…。

西鉄バス・筑豊,小屋型

西鉄バスの小屋型は違和感がある

以前西鉄バスも小屋型あったよ、って話をしたんですが那珂川市の西畑線「渕ノ上」がおそらく最後。
西鉄バスのバス停名板って、独自の形してるんですよね。だから軒下からぶら下げると変な形…

ええ…


いや、こんな新作知らんし…

場所は鞍手郡鞍手町、筑豊北部の町直方とJR遠賀川駅を結ぶ路線・68番系統の途中バス停。
古門の炭鉱住宅の歴史はかなり古い。当然ここ発祥のバス路線はかなり昔からあるようで、道路が整備されたりでこの地が68番系統の中間地点になった後も、しばらくこの古門口からちょっと路地裏に入った「古門」までの支線が残っていた。支線と言っても朝夕に1本ずつくらい、路線の免許維持という名目で残っていたにすぎない。平成の半ばくらいまであったんじゃなかろうか。

珍しくバス来た。

やっぱ来たら来たでテンション上がる。

一部待合室バス停を引き取ってる西鉄バス直方営業所

この路線の管轄は西鉄バスの直方営業所。
JRバスと激しく鎬を削りまくった直方市内線の担当です。
いくつかの赤字路線の廃止の際、路線を譲り受けて運行していたりするんですね。
そのうち一つは今も壁1、待合室2が残存してます。それは後々。

このバス停は前述のとおりずっと西鉄バス、のはず。
まあ、正確には戦前の小さなバス会社の一つが前身なのだろうけど…。
待合小屋は西鉄はよほど頑丈でもない限りガンガン壊すほう。
やっぱりJRの引継ぎ路線のおかげで心境に変化があったのか。

西鉄の時刻表がこうなってると違和感がマシマシ。

反対側の遠賀川方面は普通に立ってます。ちなみに小屋が鞍手~直方方面行き。
どうなんでしょう、立てるより貼るののほうがコストもかからないし、これから増えますかね?

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宗像市ふれあいバス,壁型

前からバスが!その時バス停は!!

先日宗像市の裏路地を車で走っていたら、前からバスがやってきました。
ハイエースを改造したミニバスです。
こんなとこ、バス通りやったんやなあと思いながら走ってみたんですが行けども行けどもバス停がない。

こうなったら探索しようじゃない?

ありました。

宗像市ふれあいバス、だそうです。
実は前から壁のバス停があるのは知ってたんだけど、問題はこのバスがひょっとしたら福祉センターの送迎用とか、そういう用途じゃね?という疑念がありました。
筑紫野市という福岡の自治体でそういうバス停がありまして。そういうのは狭義の「乗合バス」じゃないよね…と。
一応誰でも乗れるみたい。この誰でもってのが判断基準。セーフ!!

よく見ると足元に

バスのりばと書いてある。

このふれあいバスは沼かもしれない

この前後のバス停を調べに行きました。
ところがどうやっても次の「江口入口」が見つからない。

一応この公式サイトを見て場所も確認して調べてみた。

ところが。これがマジで見つからない!!


壁型じゃないバス停もオーラ0で潜んでいるし(※身長が低い)、ストリートビューで見ても全くわからないバス停が何個もあるし、もういっぺんくらい捜索してみたいところ…。
江口入口から南に行った二つくらいのバス停も皆目見当つかないんだよな!!一つは足元の「バスのりば」だけしか見つからないし!!

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大分バス(大分地区),小屋型

大分の海辺の稀少種


昨日の更新で
「大分の海にはあんまり変わったバス停ないよ?」
とか書いておいて言うのもなんですが、待合室バス停に関しては微妙に偏りがある感じで存在します。
このバス停のある佐賀関半島と、国東半島。


見事に立っていない。

時刻表は中に貼ってあります。

海まで1分もナシ!

海辺のバス道路は結構改良されている説

ここはトンネルを出た先のバス停なんですが、こういう道路を見ると職業柄
「お、ここの道路予算が出て改良されたな?」
って思う訳です。

昨日の話の続きで、山の道路は改良されていないか、改良されても集落から外れていてバスがそっちに移らないことが多い。
しかし海側は結構改良されること多くない?だから海のバス停はあんまり小屋とか残ってないのかも?
…という仮説を考えたんです。もっともらしいかなとも思ったんです。

しかし、実はこのあたりを車で走ってた時
「海辺だからバス停はもうなかろうよ~」
とか高をくくっていた事実!!慌てて写真撮った事実!!

反対側にポール+待合室。実はここから臼杵までこの形のバス停が多数点在してました。
ポールなしが他に2個見つかったのも事実!!

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越後交通,軒下吊り下げ

主流は小屋+ポールバス停

北野さんから送っていただいたバス停で、一個だけ新潟の越後交通のものがありました。

グーグルマップやら、バス停訪問系ブログを読みふけると新潟県には越後交通と頚城自動車にどうやら残存してる模様。

場所は長岡市。ここで扱ったものとしては今最北端か。

北陸ではほかに福井、石川、富山に残ってるようです。
軒下型バス停も含め、この「ポールを立てない」スタイルは本当に絶滅危惧種です。
立派な小屋があっても、バス停名と時刻表の標識は小屋外にポールを立てるのが一般的。
その勢いで小屋オンリーバス停(もしくは壁、軒下)を調べているんですが、東北地方に至ってはいまだに発見すらできていません。あんなに広いのに!!

大分県にみる小屋型バス停分布

以前ととろバス停建設の際「小屋を建てることが条件で、バス停開設に至った」という文献を目にしたことがありまして、おそらく昭和40年代くらいまでは小屋もしくは待合施設のある施設・建物が必須だったのでは、と推測したことがあります。
実際に大分の山間部のバス停は待合小屋のない場合は商店・公民館そばであることが多い。

不思議なものでこれが海沿いになると、普通のポール型が大多数だったりします。


大分には海そばを走る長大路線ローカルバスがたくさんあります。
海のそばだから錆びたり壊れやすかったりするんかな?とか、割と道路の改修が多いからその都度壊されてるんかな?とか。
ひょっとしたら海に見とれてて探しそびれているのでは説も間違いではないのかも?
とはいえ知人の乗りバス将軍ちょんびん先生曰く、
「佐伯の海のバス停は意外と普通に立っとるよ」
うーん…。

まあ、だいぶん回って肌で感じてきたことですが昔の待合室バス停が残ってるかどうかって、結局バス会社によりけりな事多いです。
大分はたまたま多く残ってるだけ、兵庫の北の全但バスもそう、奈良の奈良交通もそう…。
宮崎も熊本も長崎も普通に立ってるバス停ばっかりだしね!!むしろ、なんで大分だけなんだろうね…。

小屋型最北端、最南端

ところでこういう変わったバス停の極北地はどこかという話になると即答できます。
北海道礼文島スコトン

南は与那国島には昔は壁バス停があったっぽいんですが、今はないみたい。

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大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ

安心院~亀川線、惜しまれながらも廃止

今時珍しい山越えの長大路線で、山間を縫うように走っていた安心院亀川線が去年秋に廃止になりました。
一日2往復だったけど、割と大きな町(大病院がある亀川)を結んでいたから地味に需要があり続けたのは想像に難くない。

廃止前からこの付近のバス停はなんというか、かなり…

危険なまま放置されたバス停小屋。ほかの小屋に比べて建物は大きめ。

バス停名の「塔尾」の名前の集落はここからもうちょっと奥に存在していて、家は2~30軒ほど。
その住民たちの登校用に使われてたのか、中学~高校生と思しき落書きがびっしりあって昔を偲ばせる。

当時デジカメを買ってたんだが、使い方が全く分かっておらずピントはまるで合っていない。

このバス停、道路改良で取り残された脇道沿いにあって遭遇したときはたいそう驚いてしまった。
地図で見る限り、奥の塔尾集落からはこのバス停とは別方向への道路(広域農道)が開通しており、そっちに向かうほうが早く安心院の市街地に出られてしまう。
あらゆる意味で忘れ去られているような場所になってしまった、とみている。

廃止前の崩壊

友人のツイッターで廃止直前の画像を見て、驚愕してはいたんだが。


ようやく再訪が叶うことに。

廃止前

廃止後

ヤベエ!バス停の墓場じゃん!!

近寄ってみると何と時刻表が残ってるのを発見!!

晩年の一日2往復、通学線とも通院線とも…

この路線、待合室バス停ばかりで恐ろしく味のある路線であったのだが、結局白眉のバス停はここであったか…。
回っているときは隣の三反田が一番と思ってたし、ここは危険なんで標柱立てると読んだんだけど…最期は本当に意外。よく最後までこれで通したな!!

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JR九州バス,軒下吊り下げ

やっぱし犬鳴峠の近くは怖い

古き良きバス停を多数抱えるJR直方本線。
その中でも清水口の支線は結構由緒正しい路線で、その存在もずっと前から知ってた。
しかし悪名高き犬鳴村伝説を紐解いてみると思う訳ですよ。日本の法律がなんとかだとか。何とかだとか。
実際はのどかな村だし、表稼業でお世話にもなった某会社があるから実際はこの辺は何もないのです。
とはいえ…という訳で意外なことに認知して約30年めの初来訪。

なんか壊れてる!!

これ、トラックとかに突っ込まれでもしたのか。
この後バス停が普通にポールが立つだけなのか。
それとも…

いやー、このまま壁で放置されるってのもあるかも?

とか思ってた1か月後

あっさり、新しい待合所が立ってました。

バス停名盤はどこかにとっておいてたんかな…。


バス停待合室自体が最近減っています。
現実的な話だと、道路改良で減る傾向が高いです。これは仕方がないと思う。
待合室のスペースが道路施設に飲み込まれる形になると、道路設計上再設置はかなり難しくなります。


宮若市バスに移管されてるし、元々本数もそんなにないんだけど。この路線のバス停は結構維持がされていて(4つくらい立派な待合室型だったりするし)、このあたりの人々はきっとバス停があることを誇りにしているのだと思う。
でなきゃここまで維持しない。

残していただいてありがとう、地元の方々。そしてくだらない都市伝説で恐れをなしていてごめんなさいでした。

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