日田バス

PICT0505_R.jpg バス停の中には「珍しいんだかわからないが微妙に魅かれる名前」ってのがある。「何でそんな漢字が混じる?」とか、「何でそんな単語を?」とか。

そんな風に日田バスの路線表で気になってたバス停がこの汗入場だ。汗はないよなあ、でも一応「九州のバス時刻表」で調べてみるか。調べてみたらもう一つ出て驚きだ。熊本にある「汗原(あせんばる)」。並べてみるがやはり思う。汗はあまり出ないよなあ、地名には。

で、珍しいから写真をと思っていたがこのバス停、プレートが行方不明なのだ!!

日田バスではどのバス停も、一応エクセル出力のラミネートシートを待合室なり何なりに貼っている。というわけで、このバス停にその形跡すらなかったところを見ると・・・プレートが行方不明に成ったのはつい最近と見るべきだろう。

で、この路線(栃原団地線)は先日の路線改廃で部分廃止が行われまして、旧中津江村部分に行く路線がつい先日市営バスに移管されたばかり。ひょっとしたら廃止かと思っていたら絶賛存続中。よく見たら杖立線も走ってるほうの場所じゃないか。結構本数も多かったりするし、是非リニューアルされて「汗」の字の入った標柱が見たいものです。

日田バス

PICT0698_R.jpgスクールバスに一般バス路線を使う。
中学の頃親戚の子供が、校区外れに出来た新興住宅地に通っており。
バス停7個分+谷向こうの山の上の学校に通うのにバスに乗ってる、みたいな話を聞いてカルチャーショックを受けたことがある。わざわざ朝1~2便、そういうバスがちゃんと時刻表にイレギュラー路線としてて載ってて。
「一般のバスを学校がスクールバスみたいに、私物化してるようなものじゃね?」
と感じたのだ。

・・・で、田舎めぐりしているとそんなことは「あったりまえじゃん、何言ってるんだ」って感じになったんだけれども。こういう「私物化してんじゃね?」的な変則的運用、もしくは変則的な路線経路ってのが、スクールバスには頻出してくるわけ。
特に長崎のスクールバスは顕著で、大昔の自分の母校、青雲学園線なんて折り返しがいつ見ても壮絶だった。

ちょんびんさん他3名後一行での日田探索ツアー中に発見。
路線表に載っているのを見落としていた北山田小学校支線です。

このバス停は小学校の敷地の中で折り返すバス停・・・なのだけれども。
小学校の敷地をコの字に巡り、校庭の片隅の土俵の一角にバス停が。
バスの轍は土俵を一周する形。
おそらく日本でも類を見ない、土俵の周りを廻るバス停であります。いや、こんなこと書いたら「うちにもあるよ!!」とか予想外の答えが返ってくるかもしれないけど。
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※ちょっとブレイク

PICT0669_R.jpg のっけから謝っておきます。
 せりざわくん、非常に申し訳ない!!
こんな至福のひと時を過ごせる会合に誘いもしないなんて!!

勘弁してくれ!後生お願いだ!!

何日かまえにmixiメールが届いたのが発端。

 「江戸から参りました按摩でございます。
せっかく江戸から遠路はるばる参ったのでございますから、
たっぷりと、心行くまで日田のバス停を案内していただきたいのでございます」

と坊主頭の僧に頼まれたのでございます。
(※メールの内容の最後の行および坊主頭部分だけ本当であとは大嘘)

で、二つ返事で今朝、集合は他の方々は朝6時という気合入りすぎスケジュール(!!)
これはこちらとしても気合を入れねばなるまいよ!!

初対面の3名の方々と、まるで10年来の友人のような会話で盛り上がる。
 「で、旧来の資料によりますと46が西畑に行っててですね」
「神杉野の先の延伸がですよ!!」
「23-D!!あれをリアルタイムで遭遇できてるなんて!!」

などのおそらくあの車内だけでしか通用しない会話が飛び交っていたわけです。ええ、そりゃあもう。

PICT0699_R.jpg PICT0727_R.jpg

「荒平」の標柱化を確認しましたが、それ以外はおおむね変更もなく。
また新たな発見や、変化もありました。
その辺は後々の更新でちびちびと書き連ねるつもりです。

また今回4人旅ということもあってこんな話が。
宇佐市院内町周辺で散策中、携帯で時刻を検索していた同席者の方が
「定別当行き、乗れますけど・・・乗っていきません?」
このバス、終点にバスを置いて次の日の始発で戻るという「行って帰れない往復便」。
定別当の路線沿いにはこんなバス停があって、またものすげえ狂隘路。
いやー、楽しかった。

誘っていただいた江戸から参りました按摩ことちょんびんさん、本当にありがとうございました。
そして重ね重ね申し訳ないせりざわくん。

日田バス

PICT0153_R.jpg 自家用車の軽自動車が余裕で車検に通らなかった、管理人ジマオです。
んでもって車を手放してしまいまして日田にご無沙汰の日常ではどうも、ブログの更新もままならないもので放置に相成っております。貧乏所帯なものでね、トランスポーターの調達もなかなかねえ。

しかし最近、私が敬愛しておりまして、「バス停ブログを作ろう!!」という強烈な後押しをしてくれた「ほぼ西鉄バスの旅」のちょんびんさんからmixiのメッセージが。「あの日田バスのバス停を廻ろう!!」という企画を立てると旨、誠に有難いことであります。そちらの企画が実行に至る前にちゃんと一回は更新しておかないとね、うん。

***

先日、ポカムスというバンドの藤田さんという友人と立ち話をしていて、
おれ「近所でギター持った青年がいたんで話しかけたよ」
藤田さん「えーっ!あんたそんな見ず知らずの人によく出来るなあ」
おれ「いやあ、俺、そういうのが出来るからここまでなんとかやってこれたのかもしれんよ」
みたいな会話をしていた。

このバス停、やっぱり見つけにくいためか3度目の訪問でようやく発見した。
谷あいの集落の、住宅が密集してるあたりにあるバス停で、写真を撮ると何事か住民にとがめられそうな気分にはなっていた。
で、確か撮影関連で初めて付近住民にやや不審な目で
「なんばしようとね」
的な声をかけられたのを覚えている。

実際ここのちょっと下流はダム工事をやっている。
道路付近で写真を撮るという作業、公共事業に馴染みのない方はぴんと来ないかもしれないが、この作業は公共事業にはつきものというか、定番の作業である。
「バス停を趣味で撮ってる」と言って理解されるかはかなり不安だ。方便的にそういう作業と偽ることは出来んことはない。
だがもし、ここの住民が公共事業に嫌悪感を抱いていたら大変だ。

結局前者の言葉をうそ偽りなく説明した。
住民は怪訝な顔をしていた。
見知らぬ人と話せる能力というのは、とてもエネルギーを食う。
このような雰囲気になるとなおさらで、しこたま肝を冷やしたのを覚えている。
そんな思い出もあって、なかなかここは公開しにくいなあと思っていたバス停。

なぜか一緒にそこに生えていたジンジ草の写真を撮っていた。
見事にピンボケている。
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日田バス

PICT0473_R.jpg 中津江村、上津江村、前津江村。日田の大山側上流地方を「津江」というわけですが、この3村に共通した名産品に「わさび」「ゆずごしょう」があります。どちらも有名な辛味調味料ですね。
・・・あ、意外にゆずごしょうって、全国的にはマイナーなんだっけ。
唐辛子とゆずの皮と塩で作った調味料。鍋物に入れたり、刺身のわさび代わりにすると非常においしい。
特にこの辺まで行かないと入手できない、黄色ゆずごしょう。これは本当に凄絶に辛いのでお勧めです。

ネットで調べたり、ゲーム「クイズマジックアカデミー」の出題なんかでは「ゆずこしょう」になってるみたいですが、ゆずごしょうはゆずごしょうです。

・・・で、長々と脱線して、辛味バス停。
中津江のメインストリートに至るちょっと手前の幹線のバス停で、ここはさすがに本数も一日5~6往復と割と多いだけあって実に手入れが行き届いた、昔ながらのバス停。旧式看板も装備です。ぐうの音も出ないくらい生きたバス停です。
中津江の日田バスのバス停には、こういう健全な田舎さってのを感じる。

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日田バス

PICT0030_R.jpg 日田バスの壁シリーズも残りが少なくなってまいりました。まあ、しょうがないよね。

標柱の援軍がそこまでやってきてるのに、壁のものはそのまま晒し首で放置中。
下一ツ戸」「荒平」「出野」「星払」の出野線。ここの路線は真新しい標柱が他にも数箇所あり、3~4年前くらいに行ったらもっとあったんじゃ?といつも悔いてしまいます。

残念ながら写真はこれ一枚きり。このバス停も、いつまでもこのままかもしれません。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


待合所型。
荒れ果てているというかなんというか。

トイレがあったのか、それをもう基礎段階から取り壊したのか。ともかくわからないが何もかも取っ払って作業倉庫風になっているものの、もはや何に使われてるかもわからない。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


軒先型なのか、待合室型なのかわからないバス停がたまにある。

近寄って見てみると、家の離れを待合室風に改造していたり、公民館や格納庫の一角だったりすることが多い。
その建物自体が廃屋になっていたとしたら、こうなりそうなバス停。
これ、待合室として建てられてたとしたらちょっとでかすぎる。
建物の横の看板から察するに、農協倉庫か何かの一角の間借りバス停だったのかなあ?

内部は荒れてるんだけど、意外にも最近書かれた感じの中高生と思しき落書きがひどく、「使われてるんだなあ」と妙に実感。屋根はぼろぼろで、雨が降ったら凄く漏りそう。

日田バス

PICT0589_R.jpg 不思議なバス停。

たまーに、破壊されたようなバス停っていうのがあって。
8月くらいだったかなあ。朝方、自宅と実家との途中の西鉄のバス停に、自家用車が突っ込んでいた。もう、乗用車もむごいことになってたけれど、バス停も無残に大破。
夕方の所用を終えて帰宅途中そこを通ったら、バス停が新調されて何事もないようになっていた!!一緒に巻き添えを食っていた、植樹帯の木はなくなっていて、それだけがかろうじて事故があったことを証明していた。

・・・と、そんな出来事でもあったんだろうか?小屋をぶっ壊したかなんかした、不埒者が取り外して遊んだ・・・かなにかして・・・とにもかくにも標識行方不明。じゃあ小屋も標柱も新調しましょう、そのうち元の標識発見!!ありゃあこれどうしましょう、しょうがねえ電柱にでも掛けとくか?

何でしょうか、まあ真相はわかりませんが。
高塚地蔵のある盆地が見下ろせる場所でした。

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大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


旧安心院町。
別府へと向かう大分交通線の途上で、安心院から別府の路線は亀の井バスという別会社の路線も存在する(経路は全く違う)。本数を見るとどうも、こちらが不利の様子。・・・とはいえ、亀の井が5~6往復、大分交通が2往復だけれど。

この日はあまりこれはというバス停が見つからず、足早に帰ろうと引き返したところで見つけた。
傾きかけの小さな小屋に、比較的新しい標識とわざわざ時刻表をしつらえ続けるこの労力!!ボクは敬意を表するッ!!

大分交通はこの「待合所+屋根ぶら下げ型」を発見するのが楽しい。さて、この小屋はあと何年使うつもりなんだろう?・・・そして、ここでバスを待つ人は不便して・・・と思いきや。周辺には民家は一つも見当たらず。