防長交通,岸壁,道路構造物一体型

周防大島の夏

周防大島、山口県の東端付近にある島。オールド国鉄ファンであれば「国鉄大島航路の大島」で有名。
架橋されて陸続きになるまで島までは国鉄航路、そして島内交通は国鉄バスという時代が続いたという。
架橋後は当然の成り行きで国鉄バスが本土までを結ぶようになった。

その最東端の終点が周防油宇。国鉄バスの名残で「旧国名+地名」の名前のバス停が数多く残っている。
リサーチ不足で写真を取り損ねてしまったが、国鉄バス駅もいくつか残存しているらしい。

終点は海まで辿り着かず、港の集落手前の折り返し場で止まる(残念)。


そのちょこっと手前で。

海、防波堤。

劣化具合からして、この形になって長そう。

海の向こうは

岩国や大竹の工業地帯が見えます。

柳井からここを通って周防油宇に向かう路線は大島本線と呼ばれていたという。
今、ここの運行実態としては

2021年3月末に防長交通として廃止になったばっかりであったらしく。現在は周防平野から東の末端部分はコミュニティバスで運行しているようだ。
JRバスとしての廃止、防長交通への移管が2007年。それから15年弱か。

周防油宇の小屋はかなり立派というか、歴史を感じさせるものがあった。

本当に大事なインフラといった趣だ…。

大島本線の大半は海岸沿いが多く、飽きるほどこんな景色が続く。

まだ防長交通で運行されているところにはこんなバス停も…
午神様の神社もあったよ。

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防長交通,岸壁,道路構造物一体型

堤防直貼りという新ジャンル

山口県の防長交通、海沿いのバス停にたまにあるのが


この防波堤に直接埋め込みバス停。
これ占用許可とか所有権とか、点検の時どう扱うんだろうとか。道路仕事をかじった方なら不思議に思うやつ。
岩国~柳井の海沿いだと頻繁にこのバス停が出てくるので、走っていると別段珍しさも感じなくなります。

この写真は周防大島。岩国~柳井もそうだし、旧JR(国鉄)バスが敷いた路線の沿線に多いので、国の管轄ということで例外的に埋め込み許可が出ていた可能性もあるかな。

その埋め込みバス停たち、堤防の改修が行われた地域で最近ある類のバス停が増えています…

埋め込み型…

だが!!

新型、防波堤壁張りのバス停爆誕。
上のバス停と比較すると、防波堤の天端が少し高い。つまり身長が伸びている。

周防大島は大変楽しい旅だった


この路線は周防大島の最東端、周防油宇に向かう。残念ながら本数はかなり渋い。

夏だった。

この方角の海の向こうに、実はかのDASH島が見えるという。
もう少し先へ…

小泊に来る途中の「和佐」。

かなり煤けたバス停

この時刻表にある「馬が原」こそがおそらくDASH島を見るのに適した場所。
通学用に特化したコミュニティバスらしく、馬が原ではバス停が見当たらなかった。ちょっとご時勢的に色々あった時期というのもあり、さすがに車を降りてくまなく捜索はできず。探せばあったのかもしれないけど、そもそもここ行けたのも音楽事や仕事の都合で寄れただけだしね…。

DASH島だけ写真に収めて帰りました。あそこにロープウェイ通すんか。
結果的に楽しい旅になった。

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うん、確かに堤防の身長が低い。

北九州市営バス,壁型,擁壁,道路構造物一体型

狭隘+高低差の凶悪な住宅街でのバス停探し

知人経由で「この辺に壁型バス停あるよ」みたいな情報を受けてやってきた、福岡県北九州市若松区の住宅街。
事前に見た地図からすれば、駅の裏の山肌に広がった普通の住宅街に見えたけど…本当に長崎の裏手の住宅街かと思った。
とっ散らかったような住宅街の急勾配の裏路地をぐるぐる回ってやっと発見。

あった!!

おそらくこの周辺の住人のごみ集積場所の一角に、バス停看板も鎮座している。


バスは右の道に進むが、最終的には左の急こう配を登った先の方角へとさらに上の住宅地に向かう。

知られざる坂の街・北九州

北九州市はそこそこ平地もあるとはいえ実は大きな川がなく。
まとまった平地的な市街地は小倉北区の紫川近辺や、若松区の港周辺、八幡西区の洞海湾奥ぐらいだろうか。
あとはほとんどが丘陵地や斜面地の住宅街。
海岸沿いの平地に立った工場群のための住宅街が発展したということで、ほぼほぼ長崎のそれのような発展の仕方をしている。
ただ丘陵地が多いので、急斜面の箇所は比較的少ないのではあるが…。

そういった斜面地住宅街の交通弱者の買い物用に作られた路線。
路線図的には終端部分にループ線が設けてある格好で、ここを通過して若松駅方面に折り返す格好。

他のバス停はこの板に描かれた形のポールが立っている。
「貼る」を前提にした素敵なデザイン。

この付近にはほかに2か所くらいこの形状のバス停を発見した。とにかく道が狭い!怖い!!
もう、ここを撮ったとこで勘弁してください…。
あ、バスはハイエースが来ます。

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まだバス停はない!!

長崎バス,壁型,擁壁,道路構造物一体型

生まれるべくして生まれた感ある壁型バス停

長崎市と言えば?と質問をされた場合、皆カステラだの今日も雨だの三遊亭小遊三こと福山雅治を思い出す人が大半だと思います。
これがバスを愛する人々(※意味深な表現)になると一斉に
「長崎と言えば狭隘路線!!」
になるのは必定なもので、その狭隘路線ってなんじゃいって話です。
ざっくり言えば「おい、このバスこんな細い道通るんか?大丈夫か!?」ってなる路線の意味。

長崎の道路事情は壮絶です。斜面地に家がぎっしり立ち並んでおり、歩道のない二車線道路をうねうねと登って行くような集落や、ニュータウンはざらにあります。当然ですがそれらの道路をバスが縫うように走っていく。
学生の頃長崎に住んでいたのですが、生憎いたのは割と平地を結ぶ路線沿い(時津)であり、それらの路線に乗る機会なぞほとんどはなかったのですが。一度だけ親戚のうちに遊びに行くのに西町~虹ヶ丘~滑石の路線には(わざわざ選んで)乗りました。今も変わらぬらしいヤバい路線です。
こちらは江平線、かなり長崎市街地の山の上の方に登っていく路線です。

そしてよく擁壁を見てみると

まさしく壁バス停!!
だいぶ前の長崎バスの公式サイトで実はこのバス停は紹介されてまして、
「近年の道路事情を鑑み、安全性を考えて省スペース型のバス停を数か所作りました」
省スペース。いい響きです。


あー、これ確かにバス停の柱を立てるのに置くスペースがない。
路側帯(白線の車道より外の部分)、大体の道路で0.5mあるんだけど、側溝の幅から見ると0.45mくらいしかないのでは?
こうなると、柱自体が歩行者の障害物になるとみなされて、設置の認可が下りなくなると判断されてもおかしくない。

しかし、長崎バスってどんな狭い道にも割とバス停だけドンと立ってるもので。
最初このバス停を探そうってなる人にとっては、予備知識ゼロだとビックリするんじゃなかろうか…。

流石長崎市内のバスで、本数はそこそこあります。
長崎バスの壁式のバス停は今のところこの路線だけにあるものしか把握していない。
本当にこの路線だけなのだろうか?
それとも今後増えるのか?

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いわくにバス,壁型,小屋型

大藤までの道のりは長くて狭い

下畑からの続き。道路、幅員は3メートルあるだろうか。


カーナビで地図を見ても、道路らしい道路はこの沢沿いのこれしかない。
本当にこれがバス通りなのかを考えていたら下畑の集落とバス停を見た。

んで、まさかの

このバス停、標柱が立ってない。

中国地方のバス停は、黄色いネームプレートが必須になっている。ここと下畑は珍しくそれがない。
いわくにバスは市交通局出資の民間会社。とどのつまりは市営バスが前身。

下畑、高畑の地名でわかる(地形的な意味合いでの)上下関係。

ちょっとした掲示板です。

何気に大藤行き、数回見かけたことがあるんだけど最近理由が分かった。ちょうどライブの本番待ちの時間に駅前商店街辺りをうろつくことがあって、その時間に来るんだ。

大藤の方を眺める。

一応大藤バス停も行ってきたよ

大藤、何とグーグルストリートビューも到達していない凄いとこで。

これが、意外と終点オーラに乏しいあっけない場所だった。道路で引き返すのか折り返し場もよくわかんなかったし…

まあここまで来た記念に…

終点かと思いきや、実は別方向(南岩国駅の方角)から叶木方面に別路線がやってきます。
やっぱり終点オーラゼロ!!

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川崎町ふれあいバス,ガードレール,壁型

既存建造物をあえて捨てるスタンス


かつて、西鉄バス田川の安宅線のあった場所。

現役時代のバス待合所発見。
この時の停留所名は「道ノ下」。

ベンチもこれだし

こんな施設あるんだし…とも思うんだけど。

現在のバス停は集落の入り口のとこに移動。
対向車線の金網のお陰で見えづらいが待合室は中央上白い建物の真下辺りにあります。
豪快に捨て去っている。

ふれあいバス、何度か経路を替えているようでストリートビューだとこの位置には(2013年ごろは)何もない。
小峠、上安宅みたいな上流の終点付近にはあるんだが、旧安宅や旧不動橋付近は何も見当たらなく、果たしてここが経路だったのか…

言われなきゃわからない系のバス停最高である。
こないだ紹介した上安宅のバス停も、西鉄バス時代の過去写真と今を比較してもう一度検証たら今と全然違うとこに立ってたぽく。
この「わかりにくいバス停」マニア道的には、なかなか川崎町ふれあいバスは掘りがいがあるな…。

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大分バス(佐伯地区),民家型

佐伯エリアの大分バス民家型バス停は全滅(多分)

これはあくまで※自分調べです。ありそうなとこは回った感あるし、ないところはないと思っているのだけど、全部完全に目で見て回ったわけでもないからそうとも言えないし…。
佐伯のバス停で平成後期まで民家型のバス停が残ってたのは木浦線と本匠線。案外海辺の路線は少ないと知人には聞いていて、ストリートビューで確認しても実際バス停は標柱が立っている。本匠線については元々道路拡幅された区域はバス停が新調されており、晩年の本匠村役場付近の経路変更で福園の軒下バス停が消えて、唯一旧道に立ち寄る区間が残っていた井之上だけが残ってた塩梅。


終点の上津川。

中途には鍾乳洞が。
地震災害で内部崩落が起きて未だに休止中とか。

2車線の県道から外れて集落に立ち寄る系の旧道沿いにありました。

完全な民家型の壁式。
福祉バスの水色のバス停との違いは頼もしいくらい枝線があっていろんなとこに向かってた印象…。

一応このバス停の発見が最後で佐伯を離れた思い出。この場所の後、同日に犬飼も行かなくてはならず強行軍であったし、仕方がない。

残念ながら廃止になりました

平成30年廃止だから2~3年前?
流石に佐伯まで行くのは骨が折れるもので、久しぶりに行ったこの日は大分市内に所要があったついで。

こんな感じのバス停も

こうなってました。割とはがしたての様相。
佐伯のこういうバス停は、福園の件もあってもっと行けてたらと思う事多々。
けれど、こういうめぐりあわせは仕方がないよの…。

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川崎町ふれあいバス,発見難易度高,ガードレール,壁型

約束の地KAWASAKI

いやー、確かこの辺よね…と思いながらたどり着く。


福岡県田川郡川崎町、大分の県境にも割と迫るほどの奥地であり、かといって大分県に抜け道として盛んに通るところでもない。
北九州~日田というルートで俎上に上がるか、上がらないかといったところか。

今ではそんな街だが昭和中ごろまでは炭鉱で大変栄えており、鉄道線の分岐駅もあった。
2005年まで西鉄バスの支線が走っており。それらの廃止時に三井四坑奥谷他写真を撮りに行った記録がある。

うーん、上安宅どこだったもんか…

現在のふれあいバスのバス停はこれ。

当時の安宅支線、登ってみると案外バス停が大ぶりでがっしりしていた印象。
「バス停が大ぶり」って表現、西鉄バスのバス停標柱を何個も見てきた方ならばなんか納得していただけるんじゃなかろうか…。
絶妙な時期に設置されたとこだけ、丸看板ででっかいやつが残ってたよね。

廃止のお知らせ。

川崎ふれあいバス、バス停発見難易度ヤバい件

さて現在この安宅線、ふれあいバスはもう一つ山の上の「小峠」まで行く。

川崎ふれあいバス、バス停に関してはかなりミニマムでどのバス停も見つけるのには慣れを要する。
なおタレントの小峠英二氏の出身は田川郡だが、大任町とのことでここからは微妙に離れたところの出身。

季節が良ければこのあたりは彼岸花の鑑賞スポットなんだそうで、来年は是非タイミング合わせて伺ってみたい。

3往復、なんて本数だ。(※一応言うだけ言ってみたかった感)


これもなかなか手慣れてないとバス停発見が難しい。というか沿線のバス停はほとんどが電柱やらガードレール、壁設置のツワモノだらけなので気軽にオリエンテーリング気分が楽しめるぞ。

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上安宅

小峠

いわくにバス,壁型,小屋型

標柱がない以前に電波が来ない場所

山口県の岩国市の山間部路線大藤線。玖珂や柳井方面に抜ける峠道の途中から分岐するが、地図で見ると

これがなかなかの長距離かつどうしてそっちから行く?って感じの路線で。
六呂師(大藤)の沢に向かって、人家及び整備された道のある所を選ぶとこうなったのか。
この岩国の山間部は旧国鉄バスが路線を伸ばしていた場所でもあるし、一時期は柱野まで来ていたようだから競合状態の末こんな路線が生まれたのかも。この地域が岩国市に合併したのは結構古く昭和30年で、いわくにバスは市営交通局が前身。なるほど古くから市営バスがあっても問題ない場所か。
所要時間は当然、圧巻の1時間強らしい(62分)。

国道から分かれるとまず採石場があり。さらに狭い道を延々向かうとこの集落が現れる。

岩国、いや中国地方では珍しく標柱レスのバス停。

いわくにバスで柱のないバス停はグーグルマップの事前調査でもう一つ見つけることができた。
携帯の電波は届かなかった。

ワイはプロや!猿ゴルファープロや!!


バス時刻表は待合室の中にあり、バス停名板はどうやら

この側面の看板が相当しているよう。

なぜか置かれているラジオ。

嫁、バンドメンバー・たまきお君の3人で到達。
大分のバス停旅に同行している嫁はさておきたまきお君はこういうのが新鮮だったようで、
「嘘でしょ、この細い道の先にバス停とか」
「マジか!あるんか~!!」
などと非常においしいリアクションを繰り広げ。

この帰り道、下畑~六呂師口の間でバス停旅史上二度目のサルの群れに遭遇。無駄にテンションは上がった。
そういえば結局この沢を走って生身の人間には出会わなかった。対向車は3台ほど通っただろうか。サル6匹(概算)のほうが多い結果に…。

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大分交通・大交北部バス,壁型,小屋型

恋叶ロードも旧道には入らない

こないだアップした猫石で書いた「恋叶ロード」。
終点は豊後高田市の東端の漁港町香ヶ地で国道・バス通りを逸れ、長崎鼻のほうに向かうことになっている。
…一方そのころ、大分交通バスの豊後高田からの東行バス・伊美方面行きも、旧道沿いにある集落向けに現国道を逸れることになっていた!!
果たしてこっちに来ても恋は叶わないのか!!


国道から逸れたので、思いっきり旧国道な感じです。
…え?どの辺が旧国道かって?よく見てみると中央分離帯が白。主要地方道以上の国道の中央分離帯は黄色なんですね。
他にも路側帯(歩道部分にあたる道路のはじの側線)がありません。


集落は遥か下のうら寂しい通りを抜けると…

立派な待合室。

はい!!珍名来た!!
多くの人がここに来ると
「うわ…がらんとしてるねえ~」
という言葉を残します。うん、最早禁句です。

恋が叶うかもしれないバスは来る

最近の傾向で、旧道経由というのは一日1~2本のみを除いて廃止という例が多いんですが、ここのバス停はいまだに全便旧道に入るもので

8往復ほど、まあまああるんじゃないでしょうか。
恋叶ロードのラッピングバスなんかも走るみたいです。…ここを。
ラッピングバス就航のお知らせ、豊後高田市ホームページ

名前は伽藍堂でもあるのかなと思いきや、近隣の集落名。

一部の道路地図に地名として載ってました。まあ伽藍堂があるから伽藍集落なのかもしれない。

このバス停を過ぎると、一車線半しか道幅がないトンネルが現れます。それこそ旧道たるゆえん。
廃墟が並んでいたりと、この通りを通って恋が叶うことは…いや、ピンクのラッピングバスが通るくらいだから、あるのかもしれん。

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