※ちょっとブレイク,小屋型,民家型,軒下吊り下げ

西ノ島(島根県隠岐郡西ノ島町)のバス停たち

昔は割と限られた場所しかなかったグーグルストリートビュー、今や割と日本中に広がって居て驚愕し仕り候。
正直こんな離島のバス停とかが見られるとか思いもよらなかったが、情報の集積の進化って凄いよね。

島根県の離島、隠岐の島の「島前」にあたる島の一つ。
西ノ島のバス停は基本待合室完備でバス停の柱が存在するのは数バス停しか存在しない。壁・待合室のみがほとんどで、大分のバス停で見られる古いタイプの発展形がほとんど。バス停の分類学から推考すると、「標柱が出現しなかったまま進化したバス停文化の未来」になるのかも。貴重です。

西ノ島の壁型

西ノ島の待合室

西ノ島町営バスの公式サイト、路線表がとにかくかわいい。

岐阜バス(岐阜県美濃市)のバス停たち

最近発見したバス停群。
大分県と同じく昔の様式のバス停が残存している感じ。ただ絶滅寸前感は割とひしひしと感じる。

壁と軒下が連なっていてほぼ大分と一緒なんだけど、新品のバス停も沿線で割と見かけられておりいつまで残るかは正直わからない。

わかりやすい壁式

あざやかな軒下

電柱?交通標識?それとも変わった形の標柱?

標柱?それにしては場所が変

モザイク処理されているバス停名。なお名前は蕨生局前バス停。

富山地方鉄道(富山県魚津市)のバス停たち

富山地方鉄道の魚津地区を中心に軒下バス停が散在している。

富山のものは魚津以外の分布はまだ不明。

こちらは魚津市の東蔵線。
前の道路は地図で確認すると現在拡幅中で、ひょっとしたらもうなくなっているのかもしれない。

黒部市の路線。割と連続で残っている。

終点の池尻は立派な待合室完備で美しい。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

軒下バス停の廃止後の世界

もう何個もの軒下バス停の最期を看取っています。

  • 塚田

    何事もなかったようになっていました。
  • 横畑

    建物自体が無くなりました。
  • 東の前

    跡だけは残っています。

などとまあ様々なんですが一様に「跡形もなくなる」が大半。

では標柱は立てているけど、以前使っていた軒下バス停が残ってたという月の俣の場合は?

大分県宇佐市の大分交通バス定別当線。去年9月ごろ廃止になりました。
…実際に行ってみた。

文化遺産としての軒下バス停の価値

残ったのは凄い。

大分の地元の人とこういうバス停の話をすると必ず言われる
「こういうの、珍しいですかね?」
もう珍しいを通り越して、もはや常態保存をどっかで求めるレベルなんだけど。
でも何故そうなのかといえば、この形式が姿を消してる実態があるからにほかならないわけで。なぜ姿を消しているかといえば、現代の生活様式に少なからずそぐっていないところがある訳。
そもそもバス停みたいな公共物を、私有財産の間貸しで設置する考えは今なかなか融通が利きにくい。
今やバス停そのものの設置で「ウチの前に置くな!」ってトラブルがあるご時勢でもある。

年季の入ったバス停

スプライト看板も味

バス停なき今、また新道路が川の対岸にあるためここは何軒かある集落の前の路地のただの一角になっている。
誰も気に留める人はいないだろう。

軒下のバス停の跡、この建物もいつかは朽ちるだろうけれど。ここにバスが通い、かつての集落の賑わいの一手を集めた場所であるシンボルが残されているのだから、これは結構幸せなことだと思っている。

ここはまだ幸せなほう。まだ遺産として残っているのだから。
何事もなかったように原野に帰る、あるいは街に呑まれる。そんな集落を何個も見ているし…。

ストリートビューはこちら(探してみよう)

※ちょっとブレイク,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

行っとけばよかった、にはいろんな意味がある

人生は
「あれをやっとけばよかった、これをやっとけばよかった」
の連続なんですが、自分を振り返ってですよ。このバス停趣味において。
何度かバス停の廃止情報やらを漏れ聞いたりする時期。
「行きたいけど行けない!!」
時期って、もう直截的にぶっちゃけて書くと
「そんなことやってる立場と場合じゃないしそのためのお金も車も時間もない」
でありまして、そのことにはものすごく納得している。あの時得た体験も経験にも後悔はない。
「ここ行っときゃよかったー!」
って悔悟の念よりそれらがはるかに大きいのは納得しています。


でも、でもですよ。自分の中の小学生は納得いかないわけですよ。
「やだ!タイムマシン作る!!」
当然作れないんで、グーグルマップのスクリーンショットで我慢させてください。

大分県佐伯市のやつ


平成終わりに廃止になった上浦川線唯一の軒下バス停。あまりに美しいんで地図に星を書き込み勇んで向かったら、このバス停のみ経路変更で2015年ごろ?廃止になっていた。
あの時のガッカリ度は計り知れない…。
この旅館、割と泊まってみたいのだけどネットにはあまり情報がない。グーグルには外国人旅行者のレビューが一軒あり、かなり興味をそそられる。

あの猫バスオブジェでマスコミにも知られている「ととろ」の次のバス停。この路線「木浦鉱山線」も終点までほぼ軒下バス停・壁と何でもありの路線だった。今は特に面白みのない背の低い標柱が立っている。

ここもととろの次のバス停。
終点の木浦鉱山は軒下型だったが、ここに至ってはバス存命中にグーグルのストリートビューがたどり着けていない。
あと5メートル行けば見える位置まで来てるのが惜しい…。

存命中のととろバス停は実は場所が違っている。現役の姿は今グーグルマップで閲覧可能。
元々は用水路の上に立っており、いまは反対側の田んぼの上に移設され、桜の木が横に植えられている。

大分県竹田市のやつ


竹田駅からちょい北にある雉ヶ平線。2016年ごろに派手目の道路改良がおこなわれバス停施設も突如一新。

ことごとく新しい標柱に入れ替わっており

筆者の心をバキバキにへし折るゆかいな大惨事となった。ショックで写真一つ撮っていない。


これは竹田ではなく正確には豊後大野市。
このバス停、大昔ある登山ブログで存在は知っていたのだが、グーグルマップにあるのはつい最近まで知らなかった。
実は手持ちの道路地図でバス停位置が大幅に間違っており、おまけに道の改修で大きく道が変わっていて探索しきれていなかった。
「安藤」バス停自体、2016年に新道上にあるのを見たおぼろげな記憶があるが、あれは隣の貫原バス停だったのかも…。まだあるかもしれない、ということで早急にみに行きたい。なんやかんやで忙しくなる前に!!

こちらも豊後大野市。未確認…だったか、どうなんだか…。

奈良交通,軒下吊り下げ

軒下バス停の本場は多分奈良

以前全但バスの写真を撮っていただいた北ノさんから、結構な数のバス停の画像を頂きました。
奈良、新潟、岡山などの画像を頂き感動しています。
自分ももっといろんなところに行かねば…。四国も行きたいし、北陸も行ってみたい。
まず最初に行きたいのは全但の兵庫と…何はなくとも奈良です。

ナニコレ珍百景って超有名な番組がありまして、奈良の軒下バス停が紹介されたことがあります。

民家とバス停が合体した光景を発見!!
民家の軒先にはバス停留所を示す標識がかけられ、
壁にはバスの時刻表と路線図が貼られている…。
かなり昔からあるという、この合体したバス停、
村の人口が少ないため、バス停と民家をセットにするのが
当たり前だったために生まれた光景なのでは…と考えられる。
ちなみに、今ではバスを利用する人が少なくなったため、
バス停以外でも、手を挙げればバスに乗り降りできる
自由乗降のシステムをとっているそう。
ナニコレ珍百景公式サイトより

そうです!現在進行形で軒下バス停が息づいているのは、多分奈良県が一番では?
ポスト、公衆電話、お店。その軒下にバス停。

場所は奈良盆地の南端からちょっと山に入ったあたりか。

軒下バス停の原体験

この固定記事の中でまえがき的に書きましたが、大分の「湯坪」という場所で軒下バス停に遭遇したのが最初です。
その20年後に訪れた時にあった湯坪バス停は

当時遊んでた小学校グランドの中に待合室ごと移設されていて、軒下にバス停を下げていた商店には木戸が下ろされていました。

右の建物ですね。よくお菓子を買っていました。福岡の町でちょっと前に販売が無くなったガムが置いてあって、毎日物珍しさに買って食べてたの思い出します。道路より土間が下のほうにあって、記憶と合致している…。

このバス停の写真貰った時、その時の記憶がふわっと蘇ったんですよ。
住人たちがそこを行き交ってて。たまにバスが止まって。
この小さな集落だと、本当にここが町の表札みたいなものなんだなって。

なおこの路線(奈良交通22系統…でよいのだろうか)、前後ずっと軒下バス停らしくグーグルマップ見て驚愕中。
一遍行こう、絶対。

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日田バス,壁型,崩壊系,民家型

川原バス停、大地に立つ

前回の続き。

2017年は車で来訪できず入美のバス停と2択になり。2018年は大きなライフイベントがいくつかあって結局行けず。
2019年の4月に向かいました。

立ってる!!

まずこれに驚き。いや、わかりにくいなら最初からやれという話です。
…ということは…

ああー!!

ついに

あの建物が!!

なんというかですね、こういうバス停に限らず昭和の遺産みたいなものって、無理やりにでも存続ってのはないと思っています。
いつか儚く消えるからこそ、愛でる価値があるものだと。
消えた時まで看取ることができた事が幸福だと思っています。

改めて思う、最初に見つけた時のインパクトなあ…。

2020年4月30日をもって日田バスとしての運行は終了しました

ご存じの通りコロナ騒動のおかげで、その最期を看取ることはかないませんでしたが。
4月の廃止の件は事前に新聞記事等で告知されており(記事では当初3月末の予定だったようである)、緊急事態宣言前に写真を撮りに行きました。

全体像。

例の建物のあったあたり。

最期の時刻表。

このバス停と付き合って気づけば15年。
毎回友人を連れて行って驚かれたり、地元の人に説明して「そんなに珍しいですかね?」と苦笑されたり。
思えば最初に撮影許可を頂いた木工所のおじさん、今も元気にしてらっしゃるだろうか?

とりあえず川原バス停の話はこれで完結です。今はデマンドバスが運行されるということで、また違った形のバス停になっているのかもしれない。
それを確かめにまた遊びに行こうかな。
大山の道の駅で鮎うるかでも買いに行くついでにでもね!!

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日田バス,壁型,崩壊系,民家型

こんなところに先生が!?

前回の続き。
そりゃもう、発見した日は凄くテンション上がりましたよ。
そもそもこのバス停を探すとき、誰もが

このあたりを探すでしょうよ!!道路はバスの退避場所っぽい形状だし家の近くだし、ごみ置き場あるし!!
実際そのごみ置き場に貼られてないか調べましたもん!!

このバス通り沿いに山を登っていくと、この川原の集落が見えた瞬間って

この建物が目に映るんですね。

やっぱインパクト抜群だよな!!

なんか、その日は
「いやあ、まさかあの建物にバス停貼られてたら笑えるよな」
ぐらいの気持ちでそっと覗いてみたんですよね…。

「わあいた!!」って感じで。

発見してすぐに勇んで記事を書いたの覚えてます。
川原(大分県日田市)
この日はほかにも小坪尻下久木野を発見していたりします。豊作の日でした。

災害のたびに思う「あの建物大丈夫!?」

このバス停、ずっと定点観測に出かけておりました。
日田に友達をエスコートして見せに伺ったり。
何となく日田に遊びに行くと立ち寄ったり。

友人と訪れた時。

 
2015年に訪れたときの記事。

日田、ないし北部九州は災害の多い土地です。
豪雨災害は幾度となく起き、近隣の鉄道は寸断され。
台風被害もありました。
極めつけは熊本地震でしょう。日田市自身熊本県と接しており、震度5を観測した地域もあります。
そのたびに思う訳です。

ああ、あの建物無事かなあ、と…。

2016年の転機

2016年はその熊本地震の起きた年。


熊本地震直前に訪れたとき、バス路線の県道が工事で通行止めになっていました。
防災対策のない斜面を大規模に回収する工事のさなか。
詳しくはその個別記事で書いています。

日田市前津江町での観測された震度は5強。
果たしてあの建物は無事だったのだろうか。

…しかし個人的事情で再訪するのは2年後になってしまいます。
こればっかしは申し訳ない。色々あったんや!!色々!!

果たして川原バス停の運命は?次回に続く!!

日田バス,壁型,崩壊系,民家型

日田バス大野線・出野線・有田線の廃止

ついにこの時が来たか、という感です。
公式サイトによる廃止のお知らせ

大野・出野・有田3路線ともこのブログ内ではスターぞろいです。
定点観測し続けた、思い出のバス停も数多く。
まずはそのうちの一つ、大野線の川原(かわばる)バス停から。
余談なんですが大野線には下流の旧大山町中心部にも「川原」(こうばる)バス停があります。読み方違うだけで紛らわしいけど、よかったのだろうか…。

初めて遭遇した大野線の思い出

原付を買って乗り回していました。
いろんなところに行けるのが楽しくて、背伸びして八女に行ったのが最初。

昔は地図に載ってるバスの終点を見に行くのが楽しくて、それだけで遊びに行ったんですね。
八女の終点から、峠を越えると前津江に行けると標識が出てました。軽い気持ちで峠を越えてみたんです。
すぐに星払のバス停を見て仰天するわけです。

興奮してすぐに谷を越え、座目木集落に向かったことを覚えています。

それからしばらく、このあたりに行っては
この固定記事にある通り
バス停を「発見」しに遊びに行くことをやっていたわけです。
地図通りに確認するわけでもなく、最初のうちはグーグルのストリートビューなんてものもなく、そもそもスマホもなく。回りくどいやり方であったので、ひょっとしたら自分がまごついてるうちに普通のバス停に置き換わっていたのもあったかもしれない。

ちなみに最初に来訪した2005年くらいではそれぞれの路線は日に3~4往復。廃止直前の運行は1往復。
まずバスでは行けない。
ちなみに実際にバスで行っても実は日田バスにはテープによる放送車内アナウンスがありません。
乗っていてもどこがバス停なのかは判断が難しい。

「ないものとして存在する川原バス停」

川原のバス停は幾度となくアタックを試みました。
地図まで確認しても本気で見当たらず、ずっとバス停のありそうな雰囲気の道路を見ながらくまなく探索し
「ここはないものとして運行している」
と結論付けたこともありました。
だって本当に見つからないんだもん。
Googleストリートビュー

そう一度結論をしたこの場所のちょっと先にこんな

バス停があり、そういう「壊れたりしていても放置しているのでは?」といったこともあるかもしれないと考えたのもあります。
なおストリートビューを動かせる環境の方、ぜひ「探して」見るのをお勧めします。(2020年現在、2013年撮影のストリートビューだとちゃんとバス停も入っています)

のちに発見した時の驚きは衝撃でした。
ある他バス停を発見して、浮かれてここにやってきたことを覚えている。
そういう訳で過去記事を見たことのない方々のために、在りし日の写真はこの記事中には貼らないことにします。
是非ノーヒントで探してみてください!!

(次回に続く)

大野竹田バス,民家型

スマホで撮ってるから慌てると指が入る問題。

いやね、このバス停。
このバス停を撮るためにはと考えたんです。しかしこのバス停が貼られてる家、なにやら中から忙しげな音と声がしてたの。

この半開きの隙間から。

歳とったのと、この時心労あって昔みたく「特殊な交渉術」使えなかった。
おじさん、心が疲れてたんです。

この極上のバス停を目にしながら、指の入った2枚を含む3枚しか写真に収めきれず退散してしまった。次回こそリベンジ!!

大分交通・大交北部バス,古バス停,民家型,終点

去年10月にひっそり大量廃止になっていた大分県耶馬渓付近のバス停たち。
そのうちの一つの終点。

中津市のバス路線は、平成の大合併が始まる前にコミバス化した場所とそうでないとそうでないところが別れました。
だから、旧山国町付近の支線、旧本耶馬溪町付近の支線なんかは、どんなバス停に出会えたのかなーと考えてしまいます。今回廃止になった路線群は旧耶馬溪町エリア。


ここは期待して行ったんだけど、残念ながら支線全体、標柱を作り変えたあとだった。

終点にこんなものが残っていたのと
 
途中のバス停。よく見たら軒下型の板を取り外した後の金具が残ってるのがわかるだろうか。

ちなみに新しいバス停は、背の低い可愛いらしい標柱だそうな。
コミバス化というのは全然悪いことではないのです。
偶々古いものが古いまま生き残ってて、ええ?全然気付かなかった、これそんな古いまま残ってたものだったの!?ってのが楽しい。

大野竹田バス,軒下吊り下げ


ごめん。現存する軒下バス停はもう現れないと思ってた。ノーマークだった。
そんなわけで豊作だったのにいそいそと写真撮らざるを得なかった久保線から待望のニューカマーが登場です。

ちょっとトリミングしたら、水木しげるの漫画に出てきそうな雰囲気になった。

一日2往復らしいです。

もう雰囲気からして夕方写真撮ったら、おっかないと思いますよこのバス停。
例え停留所の標柱が新しく立ったとしても。季節は初冬。春とかに撮ったら雰囲気も違ったかな。

いやー、それにしても凄いところだった。これもいそいそとしか撮れてないんだよな。
そういや少し思い出したけど、久保線撮ってる間中ガソリンの残量もずっと気にしてたんだった。山深くて高低差あったしな、まーしゃーない。