大野竹田バス,軒下吊り下げ

絶滅危惧種最後の希望

大分県の軒下系バス停というジャンル、追いかけるようになって20年近く、ブログで紹介するようになってもう15年経ちますがまあリアルで絶滅して行っており、これは平成半ばに残存していたと思われるものの1/4~1/8以下ではなかろうか?
おそらくそれらのバス停で、生き残るのはここか三砂(竹田市)あたりだろうか…。
なおこのバス停の記事、書いてるつもりで書いてなかったことに気づいたのが昨日。来訪したのは2016年。ビックリ!!

豊後大野市の三重町~緒方病院線のバス停。
主要幹線の国道を逸れた、集落を結ぶかつての主要道沿い。この道をまっすぐ行くと駅、(元)役場、小さな商店街。

たいへん静かでイイ。

建物の感じからすると元商店か。
思えば大昔、初めて発見したのも商店の軒下だった。

いわばなです。

今残っているぽい大分県の軒下バス停を整理してみる

あくまで自分が調べた範囲というだけであり、悲しいかな個人の限界でまだ見出せていないものもあるんじゃね、という期待感はあるリストです。

  • 三砂(最終確認2020年)
  • 白丹(最終確認2020年)
  • かじや(最終確認2020年)
  • 栗戸(最終確認2020年)
  • 両家(最終確認2016年)
  • (※2020年現在撤去作業中ぽい)

こうしてみるともう耶馬渓はコミバス転換したし日田は絶滅寸前だし、竹田と大野しかないものなんかな。

去年夏に行ってきました。

ここは変わらず現存です。

最後に生き残るのはここか?三砂か?

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筑前町地域巡回バス,掲示板型,発見難易度高,壁型,民家型

山と山と山の間の集落

こないだアップした三箇山公民館の隣のバス停。


三箇山の集落を抜けると、山と棚田が見え。人家もなくひたすら、山と棚田しかない景色。
櫛木の集落は県道から脇道に入ったところに、森に埋もれるように佇んでます。
これがなかなかの秘境感。道も非常に狭い。

こんなところに、正直バス停があるのが凄いと思った…。

隣の三箇山と同じく、掲示板に貼ってあるスタイル。こちらはちょっと外に貼ってますね。

本数うんぬんよりここまでバスが来てるのは正直偉いと思う。
新品のこのバス停プレートも嬉しい。地元の集落の人はどう思っただろう。
おそらく有史以来ここにバスが来たことはなかったと思うのだ。

バスでたどり着いても自家用車でたどり着いても、ここは相当の達成感があると思う。
ここへのアプローチはバスが来る夜須町から、飯塚市側から、朝倉市側からどれを通っても峠を越えなくてはいけない。
果たして何もないかと思いきや、この盆地近くの集落にカフェとソフトクリーム屋さんなど飲食店は少しばっかしあるそう。


それにしても正直筑前町のバス停、こんなに面白いとは思わなかった。まだまだ掘ったら独特のたたずまいのバス停が見つかりそうだ…。
いろんなところのコミュニティバスを掘ってみねば。

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筑前町地域巡回バス,壁型,民家型,終点

久々・本格的にバス停を探しに行く旅

バス停探索用にグーグルマップ・ストリートビューと併用してナビタイムの地図検索を使っています。
グーグルのもの、バス停の位置情報は一部は載っているものの、地方ではまだまだ未掲載。
それで調べて、ナビタイムにはバス停あるけれど、グーグルのストリートビューには載ってないものが出てきました。
車で行ける場所なんなら、ぜひ行ってみようではないか。


この辺が、ナビタイム地図でバス停があるあたりでストリートビューでは何も見えなかった箇所。

…んん~

ばっちりありますな!あっさり発見!

家に帰ってもう一度グーグル見てみると写真には全くなく。…でも、この時期下のほうにある別のバス停は載ってたりして。この撮影日と思しき日はなぜなかったかは謎。延伸とかかね…。

落ち着いて写真に撮ってみてみると、大分・日田バスの川原と同じ趣のあるバス停。

この待合スペースといった風情も最高。
福岡県の筑前町曾根田という集落にあります。バス停の名前にある小字・坂根を冠した古民家料理屋もある模様。

平成生まれの味のある景色はまだまだ埋もれているはず

今まで日田バスなんかの景色に魅了された中で、「昭和っぽさ」とかそういう言葉のくくりの下でこれはいい、と評価してきたものはたくさんあったのですよ。

でもこのバス停、生まれは2013年とかでバリバリの平成。

実際この景色とか、自分も流石にノーマークで本当に驚いた。
まさかこんな風景が令和の世に…という感じではあるんだけど…

まあバス停自体のフォントを見たらこれやっぱ令和やねえ。

バス停としてはここが行き止まりの場所。この風景の向こう側にバスは下りていきます。

ストリートビューはこちら(※当然バス停は何もなし)

奈良交通,民家型

住宅街の真ん中にある絶滅危惧種

北ノさんからもらっている奈良交通のバス停をなかなか消化しきれないのはいかんいかん。
中には「住宅地の真ん中にもあるんですよ!」みたいな触れ込みで頂いたものも。


場所は大和郡山市の、市街地に取り残された感じの旧道の真ん中にあるバス停のようだ。
軽く調べてみればここはやはりそこそこ通には有名なようでぞろぞろとバス停のアップ画像が出てくる。
しかし…ここ本当に道狭いな!!


西鉄バス飯塚市内線の潤野あたりをほうふつとさせる蓋なし側溝の怖さ。ここにバスくるんだよな…という絶望と、本当に来た時のさらなる恐怖…。

今まで軒下のバス停といえば「もう寄り添う建物なんてこの家しかない!」みたいな山奥が多数なんですが、ここは
「すごーい!!どの家にくっつくか迷っちゃう!!」
くらいの勢い。
軒下系のバス停ではありえない本数も魅力的だ。毎時2往復くらいか。まあこないだの尾道の長江2丁目南校下と同じくらいか?

向こうの軒下とかのほうが待ちやすい気もするが…

さてこのバス停、残念ながら今はなく。(※撮影は2016年です)
というのもこの道に平行してトンネルもあるような大掛かりな新道が完成してしまい。バス停もそっちのほうに移転をしてしまいました。
奈良交通の移設のお知らせもここで読める。そもそも隘路にバスが入るのは交通安全上よくないし、ひいては運転手の職場環境改善に一役買うのだ、仕方はなかろう。
過去のストリートビューを表示するとかろうじて見ることはできる。しかし奈良県、おそるべしやな…。

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おのみちバス,壁型,民家型

おれの尾道三部作(2作目)

結局尾道ではバス停を三つしか写真撮らなかったのですが(※あと一つは珍名)、これを聞いて
「尾道まだ軒下バス停あるよ!!」
って返事が来たら絶対次行く。でも多分、この二つだけじゃないのかなという確信もないでもなく。


狭い。この道通って、複数の路線が隣の市町村の中心に向かうバスもあるくらいのメインストリートだった時期もあるようだ。
中国バスのウィキペディア項目見ると、この路地を通るバスの光景は一番の「見どころ」であるようだ。

発見したのは同乗中のうちの嫁。これは美しい、軒下型のバス停。
まあ柱立てるような道幅じゃねえよな。

尾道の港のほう向け

山のほう向け

尾道市営バス時代最後の遺産なのかな?

ここを走る路線は旧尾道市営バスのエリアに中国バス(本社は隣の福山市)が乗り入れる形で運行されていたようだ。

味のある古看板に

市営バスの看板。

おのみちバスは市営の第三セクター移譲。運営の移譲が起きるとバス停というのは施設更新が行われるもので、大分県で軒下・壁型が大量絶滅をしたそれと同じように、おそらく生まれ変わったのであろうおのみちバスのキラキラしたルビー色の標柱が市内のあちこちに立っておられました。

ここと、隣の長江二丁目はなぜ生き残ったのであろうか。まあ生き残ってくれたことは自分のような酔狂な人間には感謝でしかないし、一度訪れただけに過ぎない異邦人にはまだ見つけられもしない生き残りがいるのでは、という希望もはらんでいるのであります…。

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西鉄バス・筑豊,民家型,軒下吊り下げ

この形状はほかにどこもない謎のバス停

ある日、ツイッターのタイムラインにこのバス停の写真が流れてきてビックリ。
というのもその何日か前そこを通ったりしていて、
「そんなバス停あんなとこにあったん!?」
と驚愕。

道路の向こうは町立病院で…

ばっちり軒下バス停やん!!

ここの存在は真面目に知らなかった。
友人のブログを丹念に過去ログ掘ってみたら、ちゃんと紹介をしていて
「うぬー、ちょんびん先生に気軽に『いつもブログ見てますよ!』とか言えなくなっちゃったぞ!!」
と今冷や汗をかいています。

このバス停は片側。向こう側に立派なバス停があるので、この存在は気付かれなくても仕方なし…。
とりわけ驚きなのがこの四角いプレートで。

他地域でもこういうの見た、とかそういうのがまるでない。
昔を知る地元の証言があれば変わってくるのでしょうが、自分の(数少ない)知見では初めて。

西鉄なのか、国鉄なのか

このバス停のこの路線、かつては国鉄バスとの並走・競合路線でした。
宮田から山を越え、かつて国鉄室木線のあった室木駅を経由して鞍手駅まで並走、この鞍手町の中心街の中山地区の真ん中に向かう。

この通りの先は郵便局。
炭鉱住宅が由来と思しき家並みの住宅街と商店街が広がっています。
1976年に宮田の貝島炭鉱が閉山するまでこの周辺の炭鉱社宅街から宮田行きのバス路線は結構あって、ここのほかにも七福ストアーのあった路線もその例か。

よく見ると「西鉄」の「西」の辺りに激しく書き換えられたような跡が見えなくもない…んだけど。
しかし「国鉄」→「西鉄」に改めたと仮定して、JRバスの時代まで継続してここ乗り込んでいたはずだから、現役時に書き換えるなら「JR」入ってないとおかしくね?とも思うし。

※直方市の内ヶ磯近くのバス停にある路線図跡、昭和末期。ここには間違いなく乗り入れていたのがわかる。鞍手病院~鞍手駅は未開通のころか。

ここ、バス路線をただ追跡するだけのドライブ趣味の人(※自分もそうなのである)には格好の場所で。(この向かい側の)鞍手病院のポール見ただけでも普通にテンションが上がるとこではあるんで、この存在は盲点だったなあ。いやはや、ただただビックリ。

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堀川バス,古バス停,民家型,軒下吊り下げ

撮ったつもりが撮ってない場所は結構ある

福岡県南部の堀川バス。
「道路地図に書いてある終点バス停に行ってみたい」というとっかかりからバス停探訪を始める人にとっては、これが格好の被写体といえよう。
まあ単純に自分がそうなだけなんだけど。


板屋。

的別当。

小椎尾。
三つとも廃止になってしまったな…。
今残ってる堀川バスの山間部路線、正直どれもオススメとしか言いようがない。
矢部川の渓谷を横目に、美しい茶畑を縫うように走るバスの車窓は最高で、羽犬塚~柴庵なんて今時1時間半と、胸やけがするくらいの所要時間もある。

ここの十籠車庫なんかも軒にぶら下がってて面白いけど昔写真撮りまくってたしどっかHDDにあるよね…

いや、待てよ?撮ってなくね?
てなわけで

行ってきました。

十籠車庫は何度でも立ち上がる


バス停部分は車庫の一角に。

十籠車庫はデカイ。いかにも昔のバス車庫といった風情である。

道路反対側。商店が並ぶ中。
このあたりは川にすぐ山が迫る地形で、平野は本当に数少ない。
そこまでしてこんな山奥に…と考える人もいるだろう。かつての人は「南側斜面」が欲しかったのでは?と思う。
十籠の周辺はそんな南向きの斜面に集落が並んでいるし、そういえば廃止になった的別当(椋谷)経由の路線もそういう集落ばかりを結んでた。

堀川バスの軒下バス停。

窓口跡。大昔は西鉄も来てたらしい…。

大分のバス停でもおなじみの軒下バス停用金具。

旧星野村、ここ20年での水害被災はかなりのもの。
ここまでの国道が陥没したり、川にえぐられたりと何度も運休や迂回運行の憂き目にあっている。
7月の熊本や大分を襲った大水害、この土地でも結構な量が降ったらしく、ここの下流域で斜面復旧工事に数か所遭遇した。

それでもこの本数維持されている堀川バス。
割と凄い経営努力だと思っている。

今気づいたことを言っていいかな?
堀川バスのマークって、カタカナの「ホ」なのか…!!

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おのみちバス,壁型,民家型

それは10年くらい前に見たウィキペディアに遡る

ウィキペディアで「バス停」を調べると、昔軒下のバス停出なかったっけ?
いまのその項目では最早そんなもんあったっけな感じなんですが、一応ワイも調べてみた。

んー、やっぱあるね!!
詳しくウェブアーカイブの資料を見ていると2014年の8月には差し替えられているらしいが、確かに存在した。
場所は広島県尾道市。
そして、所要(音楽事)で山口県の岩国に用事がある次の日に、夫婦で行けるチャンス到来。
行くしかねえじゃん!!という訳で行ってきました。岩国から3時間くらい下道かけて…


…うわあ、どこだよ…

事前資料とストリートビューで改めてみてみよう


事前資料はこれ。ウィキペディアのサーバ内に画像データだけ残っており、うまく検索すると閲覧可能。
そしてストリートビューである。

最近のストビュー、バス停はここと示してくれることもあるが…
これがまったくもって見当たらない。
夫婦による探索は困難を極め、またこの道路い狭いのに異様に交通量が多く。あきらめかけたその時についに発見した。

あ!!

目が合った!!

軒下バス停は建物が無くなっても死ぬ

ようやく発見、しかしこれは…

軒下ではないが、民家の壁型のバス停。

民家というかこの建物が何に使われているかはついぞわからなかった。

しかしまあ、あきれるほどに狭い。ただこの道路や路線自体はかなり尾道市内でも重要路線である。実際短い滞在でバスが2台くらい通った。
滞在時は「この建物の軒先に吊るしていたものか」と考えていたのだが、のちに調べを進めていると資料写真では隣の家の壁が今のものと異なることが判明。

…うん、車庫あるし違うよね…ということでもう少しストリートビューを見ていると

…あ。この左の空き地…
ちょっとストリートビュー動かすとわかるけど、家が一軒分駐車場になっている。
なるほど…この家に下がってた?

軒下バス停の変遷的に民家の壁に残されて存続しているのは意外。日田バスでさえもポール立てたのになあ…。
いつまでも残ってほしいです。

しかしウィキペディアに乗ってたあのバス停に会えなかったのは残念ですなあ…。

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大野竹田バス,軒下吊り下げ

嫁が発見!たまごっち

「さあて、事前調査のバス停は回ったし、道の駅でも寄って帰るかあ」
と車を大分市内に走らせた直後。
「あれ?あそこバス停なくない?」
と嫁が告げてきた。え?


…。

マジか…マジだなあ…

珍しい、国道沿いの軒下バス停。


全但バスに結構ある、建物に待合室的な一角が併設されてるパターンです。

裏側はちなみにガソリンスタンドの小屋です。

路線としては竹田~長湯温泉線の久住廻りの路線。割と利用者は多いらしく5往復位走ってます。
沿線には秘湯が多く、某マツコ有吉さんの番組に出たような温泉もありました。

待合小屋の醍醐味「落書き」

バスの待合室には、通学用の路線として現役みが増すほど落書きが多く残ってたりします。
ここは割と現役なんかな…。


後の「ぎゃらりー」よりも先に…

この…なんというか…

こっちに目が行くのはなんでだろう?
よもや書いた子も、こんなブログに紹介されてしまうとは思うまいて…!!

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日田バス,壁型,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし

思えば出野線はこのバス停、下一ツ戸のインパクトが一番高かったな…。
最初に行ったときはここの隣人の方に撮影許可取ったの、よく覚えてる。その後テレビのナニコレ珍百景でも紹介されたらしい。
このバス停がこうなった経緯、詳細は昔書いた記事を見てほしい。

遠巻きに道路から俯瞰するとこんな感じ。とてもバス停を発見できるとは全く思えない。

一応今年、最末期に写真撮りに行きました。結局最後までこうでしたよ、このバス停。

これぞ日田バスのバス停。本当に惜しいバス停を無くしたよ。


その二つ先、荒平(2007年ごろ)。

そうだよな!!これが日田バスだよな!!

…なんと一年後に家が取り壊し!!

荒平付近、地元の方がたくさんの風車を置いている家がある。

これが結構壮観なので、ぜひなんとか映えを狙っていただきたい。

そのうちもっともっとグレードアップしたりするだろうか…。

日田バスバス停フルコース、出山バス停

出山というバス停、最初発見した際は


普通に民家の玄関のとこに貼ってあるだけのバス停だったんですよ。

日田バスの壁バス停の看板って3バージョンあります。
おそらく一番古いのが、隣の停留所の表記が入ってるやつ。

昭和50年代後半廃止の中津江村内と皿山線の一部にいくつか残っていました。
五馬線の「袋」天ヶ瀬の「小松屋前」に今なお現存したり、日出生線・山浦線などで見かけた黄色いマルハラ醤油バージョンはほぼ同時期だろうか。バス停名にふりがなが打ってあるやつです。

そして四角のバージョン。この四角のバス停プレート、実は日田バスの標柱って基本的に

丸型。そう、古い四角のやつは軒下か小屋にしか使ってないんですな。


出山って三つそろってたんですよね。

四角の標柱はつい最近のもの。日田バスと同じく福岡の西鉄バスの子会社化している、大分県のバス事業者・亀の井バスでも同じようなのを見かけたから、そういう流れだろうか。

最後の年。

壁にある時刻表、古いの多いぞ…。


十数年前の時刻表も貼ったまま…。

さようなら出野線


思えば日田バスのバス停を撮ろう、と再認識させてくれたのはこの出野線の終点星払が最初なわけで、その山のてっぺんから麓のこの深野までいろんなバス停で楽しませてくれた路線でした。
後の高架は国道210号線です。

バスの写真撮る前はバスセンターで貰える時刻表集めたりもしてて、この路線の時刻見て仰天したのもいい思い出です。
その頃に写真撮ってれば…とも思うけど、その時のケータイのカメラってしょぼかったよね…。
そもそも写真撮る趣味はおろか習慣がなくって。デジカメとかも持ってなかったし。

この深野のバス停小屋は早々に取り壊されたの覚えてる。
無くなるんだよね…。

バス、にまつわる遺構は本当に跡形なく消える。
まあ、この趣味の良さでもあると割り切って入るんだけど、こればっかしは仕方がないのだ。
いつか出野線の途中にある料理屋に、恩返しのつもりで食事に行こうと思う…。

ところでこのバス停、四角形の看板なんだけど…。壁だったりしたんかな。