上勝町営バス,民家型

軒下バス停、待合室型バス停の分布

グーグルで調べてみると、徳島県の山間部は軒下バス停が残っていることが多い。
(グーグル、)
・奈良山間部
・兵庫北部(全但エリア)
・徳島山間部
・愛媛県
・大分県
という流れでベルトができるの興味深い。ちなみに東方向には岐阜山間部(民家軒下あり)~富山(民家軒下・待合室軒下)~長野・新潟(待合室型のみ)と流れていく。

このうちどの県でも、都市部のバス停ではポール型、待合室になっている。市街地区にも軒下系バス停が残ってる例はなかなか少なく、

徳島のこのバス停みたいな例はなかなか少ない。(どこにあるかわかるだろうか?)
そんなわけで今日は北ノ氏から頂いた、徳島県中部の上勝町のバス停。

おおー…

支所ってことは合併市町村の元役所…では、ないらしい。
なおグーグルマップでは実はポールは立っているのだが(2014年撮影)

去年撮影ではこのような形に…。

徳島山間部の特殊バス停、なかなかエモい

ここは徳島の小松島から山を登って行った先。先日の記事の四国交通の名頃付近…いや、まあ比較的近いというべきか?
ふた山くらい越えるのが果たして何基準で近いのかはさておいて。
徳島バスエリアの山間部に、軒下バス停が結構残っているのが2014年のグーグルマップで確認できる。
ただ、どれだけ残存しているかは知らない。大分県の山間部は2013年撮影になるんだけれど、この時残っていたバス停の半数以上が姿を消してしまっている。

しかし…
この上勝町営バスのバス停、なかなか大分バスみある。

真新しさとこの本数は大分の竹田あたりの風情だよな…。
案内板みたいなものに貼っつけるのは割と平成のコみバスっぽくてよい。

待合室。真新しい。

待合室に貼るだけバス停、道路占用料不要と考えると(※待合室の維持費を度外視すれば)お得ではあるやな。

落合東。大北支線の発着場所。


大北支線は商店型壁張りバス停やらが存在して熱いぞ!!2020年のストリートビューで現存確認!!

大野竹田バス,軒下吊り下げ

大分軒下バス停、風前の灯火

今までたくさん扱ってきました大分の軒下バス停、もう正直絶滅危惧種となってきました。
確認しに行った「安藤」、家が無くなってました。4年前に見に行った時と記憶違いもなく。やっぱりもうあの時バス停は建て替わった後だったのでした。
結局現存してる軒下バス停は…本当に少ないよね?
正直山間部などの「見つかりやすいところ」は見つくした感。あとは地道に発見していくしかないけれど、例外的に市街地にポンと現存してる、とかいうのは正直意外に発見が難しい。そういうわけで

白丹、「しろに」と読みます。
温泉があったりします。


この錆!!
熊本との県境付近。バスも県境近くの「梅の木」まで伸びてます。

本数に関しては…うーん。


この路線、割と広い道路をずっと走るのでバス停はいたって普通に立っているんですが、白丹付近のみは旧道に入ります。
なんで軒下バス停が残ったロジック。

終点梅の木方向、熊本の方角を望む。

廃商店のわびしさよ

ここ、グーグルマップで調べた限りだと商店だったようで、2013年時点ではまだ店ののぼりだけは立っていたりします。

が、残念ながら店はやってない模様。
大分の軒下バス停って、調べ始めた当時ほとんどが商店併設だったんですよ。
ちょうど「ポツンと一軒家」というテレビ番組で、大分県を訪れた回がありまして。
家主さんが商店をやっていた理由を聞かれて
「ここはバスが走りよりましたけんね…」
とつぶやいててですね。文脈としては「バス停といえば商店が要る」というニュアンスをさらりと語られたことが結構重要で。
軒下バス停はそういう商業文化、流通スタイルがあった時代の名残なんでしょう。

この商店が大分の、軒下バス停商店の最後だったのかもしれない。
いや、何か思い出したら残ってるかもしれないんだけどね…。

軒下バス停は意外と看板は新調されてること多いんだけど、ここは古めかしいままです。

ここもいつまで残っているだろうか…。

ストリートビューはこちら

日田バス,発見難易度高,ポール型,古バス停,壁型,崩壊系,民家型,終点

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし


星払(終点)

出野

北川
出野線で最初に撮ったのはわずかこの3枚だけ!!
日田バスのバス停、こんなに大掛かりな趣味になるとは人生わからんもんやね!!

星払バス停の思い出


星払、最晩年。


1枚目の写真ののちすぐに標柱が建て替わるので、あまり写真を撮っていない。
この末端の出野~田代橋~星払近辺は壮絶な狭隘路で、狭隘バスマニアの心をわしづかみにして離さない路線であった。

山を越えた先は「星野村」。そういえば佐賀の終着バス停にも「星領」があったし、山の頂上付近の集落には結構星の付く名前が多いのかもしれない。星の付く地名は隕石伝説という考察もあるらしいが、これ以上の深掘りは本職の民俗学の方々にお任せ…。佐賀の星賀は港だし…。


次の田代橋バス停。
普通のバスが入ってくると思えない狭さが続く。

日田バスのボロイ方の標柱。これが立っていると普通のバス停じゃんと落胆したものだったが、ひょっとしたらこの形で立ってるのも現在では少なくなっているんじゃなかろうか。

出た、往復できない1往復運行。最晩年。
田代橋は大正15年建造のアーチ橋。バス停前から分かれる村道にかかっており、石橋マニアにはそこそこ有名なんだとか。

北川バス停の思い出


この出野線、出野を出た後数少ない民家のある集落に時折バス停が…というくらいの森の中の人口希薄地を下っていきます。
途中の森の中に、分かれ道だけがあるタイプのバス停があります。

バス通り沿いには民家はなく、分かれ道の奥に民家があるタイプのバス停はよくあるんですが、この分かれ道のその先のなさそうっぷりはどうよ!

一応廃止直前だし(?)今年も写真に…

おお!柱が変わっちょるね!!

…。

岩が…。


北川集落はこの山道を相当登ったところにあったらしい。
現在グーグルの写真地図では家も何もなく、一応国土地理院の航空写真サービスを調べておそらく平成頭まで集落があったんじゃないの?くらいの知見を得た。昭和50年くらいのものには何軒か家が確認できる。

他出野線のバス停


首なしだった柚の木バス停。

グーグルマップで見るとさらに趣深い。

更に降りた「仏石」。

ちゃんと普通のバス停だって撮ってるよ…

この川は大丈夫だっただろうか。

画像庫に入った白焼け写真。
バス停小屋は藁置場…

伝里バス停でした。やっぱり藁置場!

もうちょっと下流の、下一ツ戸~出山周辺の思い出は次回!!

日田バス,民家型

日田の道路は川とともにある

現在進行形で、今日田の大雨のニュースが流れています。
小松屋前の隣バス停付近、天ヶ瀬の温泉街にかかる橋周辺の動画がツイッターで流れてきて、大規模浸水をしているようです。心配とか言うどころでなく悲しい。ブログ記事は10年前に書きましたが先日行ってみたら何も変わっていませんでした。おそらく今回の被災で撤去及び施設更新になるのではないでしょうか。

かなり昔、個人サイトブログの日記でコラム的に書いてた時代の記事のリブログ…というか、写真も新たに取ってるんでそのバス停の話をあらためて。


千丈橋。

2009年に再訪。潔いPC出力&ラミネートのみが貼ってるスタイル。
晩年は「石井自動車」の看板は外されとうとうシールと時刻表のみになり、日田バスでも屈指の手抜き壁バス停でした。

残念ながらルート変更により廃止になりまして、現在は跡形もありません。
元々大山川による断崖が続く渓谷がこの付近、3kmくらい続くんじゃ。当然人口希薄地なので、さしたる集落もないまま川の両岸に国道と県道がそれぞれに分かれて伸びたり、時折両者が合流したり。

このバス停の名の「千丈橋」は両者がいったん分かれ、国道が大山川を渡って対岸に行く場所であり、集落の北端でもあり要衝の場所でもあった…はずなんですが。

切れてます。

橋梁、道路、そして治水

現在はここからバス停1個分上流に行った「片瀬古」のバス停付近に分岐点は移っていて、そこには新しい千丈橋が架け変わっていまして、写真のガードレールの向こうにちらと映っています。
なぜそうなったのかを一応対岸も見て納得したんですがこれは単純に狭くて道路拡幅と、これ道路が川沿い過ぎて危険すぎる。

加えてこの川です。大山川、というのは筑後川の二つある源流の一つ。
上流には松原ダムと

下筌ダムという二つの治水ダムがある川です。


道路行政、ダム行政、公共事業に詳しくない方は時折悪いイメージを持つ人が多い。
都会に住んでいるとわかりづらいかもしれない。

橋が架け変わったこともあってか、このあたりは廃集落に近い状況。バス停のある民家にも当時もう人の姿はなく。
でも道路が架け変わったのは、このあたりの人のためというよりはダムのため、さらに上流の町や村のため。それはある意味では理不尽で残酷で、許容するだけでは寂しいけれど、それを責めるべきものではないし、抗うのは何か違うと思っている。
でもその寂しいという感情はこういうとこに書き留めたいな、という意思は持っています。
それは自然の猛威のような思いもよらない、抗いようのない災禍で失う悲しみよりは、幾分かましなのだな、という実感がしています。

どうかこの大雨が収まりますように。

なおこのバス停、廃止まで結局プレートも新しい標柱も何も立ちませんでした。ストリートビューの晩年の姿見ても思うが、ずっと廃止秒読みだったんだろうな…。

ストリートビューはこちら(※2013年は存在。廃止直前?)

五條市生活バス,軒下吊り下げ

八木新宮特急バスの枝線

八木新宮特急バスという日本最長のバス路線があります。
奈良県の橿原市、大和八木駅から和歌山の新宮駅まで。所要時間は6時間半、三往復。
元々この路線に軒下バス停があるのをテレビで一度見た記憶があるんですが、紀伊半島をバイクで縦横無尽する北ノ君から
「あの辺?なら行ってきまひょか?」
とナチュラルに方言で返事をしてもらったのが、奈良の軒下バス停写真をいただいたきっかけ。

立川渡です。
このバス停のある枝線の奈良交通五條~日裏線は2008年廃止、五條市生活バスに移管だそう。

後の看板よ!!今あるのか診療所!!

バス停の形が奈良交通まんまなのは特注かなんかだろうか…

バス停をリニューアルするにはカネがかかる

この支線の別のバス停見ると、ポールはそのままで看板だけ差し替えた感じ。
奈良交通は独特の看板の形なので、それはそれでお金が要ったのではと推測される。
バス停のポールにはいくつかメーカー品があるようで、コミュニティバス移管となるとそういったものに一括変換されることはままある。
いっそそっちに統一、のほうが予算が下りやすい自治体もあるはずだろう。撤去業務も設置業務も増えて、ささやかながら工事屋が多少儲かる。
それは間違っていない。

でもこんな軒下が残ってると、やっぱそのままにしてほしいよね!!

上茄子原、立川渡から2バス停山を登る先。
コカ・コーラの看板も凄い…。

こないだ矢形のあったとこ行ったんですが、背の低い標柱が立っていて何にもなかったんだよね…。
まあ意地でもこんなバス停残してくれ、みたいな反対運動起こすとかは勘弁です。こういうのは無くなるから美しい。

夏には行きたいなー。

ストリートビューはこちら


立川渡

上茄子原

四国交通,軒下吊り下げ

四国のちょうどど真ん中

北ノさんファイルからの軒先バス停写真。

何と四国交通のものがあるではないか。
四国交通は徳島の西、三好市…というよりは阿波池田というとわかりやすいかもしれない。そのあたりを中心にしたエリアで運行中です。
バス停名は…

名頃下。それにしてもこりゃ鉄板が古い。いつぐらいから更新していないんだろう?

と思って色々路線について調べてみる。路線はJR大歩危駅から祖谷渓に向かったそこから先。久保までが四国交通の現存路線で、そこから先の末端部分の名頃まで(季節運航で剣山の登山口にもいくらしい)は昔に撤退しており、名目上は三好市営バスがここを運行しているようだ。
この市営バス部分がどうやら廃止前のバス停施設は据え置きのまま運行しているようで、
このバス停の二つ下の菅生

米屋の看板にさりげなくある

も一緒に送られてきているし

栗本バス停

モザイクがかかっている謎のバス停

あたりが点在している。壁、軒下、古めかしいポール…ひとこと言えるのはめっちゃパラダイスということだろう。
理想の残り方である。

バス停はさておき、かかしの里とは


そうなんである。このバス停、かかしがとにかく置いてある。


村おこしの名目でかかしを置き始めた場所、という趣らしい。
ストリートビューをつらつら見ると地元住民の努力で、他県から観光客も停まって行くようになっているようだ。
200体以上いるとのことである。(参考サイト:三好市公式観光サイト

これはぜひ自分で行ってみたい、と思うんだが恐ろしいほどの山奥。
北ノくんの旅のスタイルはバイクなので、狭隘路の恐怖とかないもんな…。まあ、四国上陸したらマストで向かうとこということで。伊予鉄と一緒にね。

一応四国交通の軒下もあるにはある

久保から降りた辺りはバス停がきれいに設置されているのだが、

現役のものもあるようだ。

公式サイトの路線表で見ると「和田下」「和田中」「和田上」があるんだが…

ここは和田のいかほどで?

※ちょっとブレイク,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

柚の木(亀の井バス、大分県別府市)

2016年に竹田行った際の帰り道、道を間違えて変な場所に出てしまいレンタカーの返却時間を考えて断念したバス停。その時は存在していた。
別府を中心に展開する亀の井バスのおそらく唯一の軒下バス停だったのだが…

先日初めて立ち寄ってみたが予想以上の立地の凄さに感動してしまった。バスが通ると思えないような山道が続く。
在りし日を伝えるちょんびんさんのブログはこちら
廃止跡はユーバスという地元のコミバスの標柱のみが立っている。軒先は跡形もなく残念。

広平終点(祐徳バス、佐賀県鹿島市)

佐賀県南部に展開する祐徳バス。昔からある事業所なのに近年まで公式サイトがなかったことで(※マニアに)知られる。
長崎県県営バスとの県境乗り継ぎ路線や、珍名「1B」「2A」などのバス停、駅からそんなに遠くもない干拓地に延びるバス停2個分の支線新篭線(1往復)など、ローカルバス好きの心を久すぐる路線が勢ぞろい。近年路線整理が進んでしまって、それらの路線は廃止となってしまっている。
終点がごみ置き場にはっつけてある壁?バス停であった。

ここに至るまでにいくつか「広平」の名前が続いてこの「終点」。道路地図などにもこの名称が記載されていて、マップトラベラーの郷愁を誘ったという。2019年廃止。
よく見ると標柱の土台があったりするんで、ごみ置き場が標柱の代用だったりしたものか。かなり長い間この姿であったらしい。

竹の内(大分県大分市)


大分南部の旧道沿いにひっそりあった軒下の壁バス停。まだ残ってるだろうと先日行ったら残念ながら撤去になった後であった。
バス停はほど近い路地の中に移転、またベンチなどは残されており、バスが旧道部分に入るのは存続しているので狭隘路線マニア(※バスがわざわざ狭いとこに入るのをこよなく愛するみなさん)は安堵してほしい。
そもそもこのバス停の目の前の交差点から路線が分岐するんで、届け出とかが面倒なのもあるのだろう。キロ数変更とかあるだろうし…。

東中畑(福岡県宮若市)

旧JRバス直方線の支線、筑前日吉までの路線の終点近く。
小学校も近く集落があるのにバス停がない一角だと思っていたら…。
地元の人が道路わきで産直市を開いている周辺の小屋に時刻表みたいなものが貼ってあり、プレートなしのバス停なのかも…迄は知ってた。
いやいや、本当にこれバス停なんか!?様子見!!
とか思っているうちに標柱が新たに立った。
撮っておけばよかった…。

青のやつが問題の小屋。ストリートビューではつつましげですが、開いてる時は多少賑やかです。

全但バス,軒下吊り下げ

全但バスは最後の楽園だと思う

北ノさんから全但バスの取材に行っていただいた写真をいっぱい眺めているんですが、真面目にこれが嫌なことがあるとかなり癒される内容で。

こんなバス停が2~30個あるんですよ!!しかもグーグルで見たら未収録のもまだまだあるんですよ!!
そんなわけで今日はこの民家の納屋?の軒下バス停。

遠景で見てると最早民家。
いやー、全但バスがすごいの、こういうのがいっぱい現役なんですよねー。
大分県のどこそこが廃止で無くなっただの、自治体転換でバス停壊されただのをここ何年もずっと聞いてたからさ…
壊される気配が皆無ってのがまたね…。

このあふれる現役感がまた羨ましい。
バス停は京都との県境にほど近いところ。旧但東町の出石から奥藤という集落まで伸びる路線の、終点手前。

民家バス停の魅力は「今や残ることが奇跡」

大分県のこういうバス停のなくなり方は大変シビアでした。
家の改築で。バス路線の廃止で。これがいともたやすくなくなってしまうのです。
多くのそれを看取ったここ10年を考えると全但バスは凄い。

この家が納屋を改築していたら?自治体がこの路線に補助金を出さなかったら?
いろんな奇跡がこのバス停にはおそらく積もっていたりしますが…
このバス停から連続3つくらい民家だったり待合室だったりするし、この周辺の人々はまだこういうのが珍しい、という認識はないのかもしれない。それはなかなか羨ましい話です。

ストリートビューはこちら

JR西日本バス,軒下吊り下げ

関西のアドバイザー、北ノ君からメールが来た

「ハローミスタージマオ。このメールは君が読んだ後消滅しない。」
とかいうやり取りは一切なく、京都の北を適当に走ってたら発見したよ!という旨の文章とともにこんな素敵なバス停写真が。

「京都市の北西の山間部、北山を走るJRバスです」
とのこと!!
京都。
画像検索やグーグルの調査などで、京都府は結構な量で待合室バス停が眠ってるのを知っている。
というかこの京都北部は、一昔前の大分のごとく待合室バス停が現役で大量に稼働しており。この地域に住む人々からすれば、こういうバス停を特殊だのと表現していたら笑われるのではないかという状況である。

しかしここは軒下バス停。
しかもこの名盤の文字をよく見ればゴシック系のデジタルフォント化されていて、近年に新調されたのがよくわかる。
ここは、この路線がどういう生い立ちか調べてかかろう。

栄光の国鉄バス京鶴線

ここを走る路線は現在こそ京都~周山(京都市右京区)を走っている路線だが、かつては国鉄バスの京都~福井県小浜を結ぶ路線の一部であったようだ。現在こそ高雄・京北線と名乗っているが、県境にそびえる堀越峠を目前にした鶴ケ岡(現京都府南丹市)までのこの京鶴線、小浜から南に延びる名田庄線を直結して、一日数本程度長距離直通バスが運行されていたようである。

高速もない時代、こういう下道の長距離輸送バスは日本中にあって、その名残のような路線はいたるところに散在している。
このバス停もまさにそう。
このバス停の付近の国道(162号線)は超大トンネルが走っており、この集落付近は長らく旧道部分となっている。道路の拡幅もなく、昔のバス停施設がきれいに取り残ることができたのだろう。このあたり、ちょうどJR九州バス直方線の脇田温泉付近のバス停の残り方と重なるところがある。

この美山町あたり、民間の京都交通との路線競合などもあり割と国鉄バス直方線の宮田町・若宮町と同じような勢力図になってるのが結構興味深い。交差する形で互いの勢力に越境してるような勢力図になっているのが見てて楽しい。
この付近の待合室バス停(※軒下・壁は精査しないとわからないがあるのでは?)の残り方は尋常じゃなく、逆にこういうバス停は関西の文化なのではという疑念も。関東になると本当に少ないし。
古いバス停施設の残り方についても、国鉄~JR・もしくは民間バス会社からのコミュニティバス化の時期が福岡県のそれ及び大分県の佐賀関線・臼三線辺りともずれている。いわゆる小泉構造改革以前の移行である。この辺も影響しているんだろうか。

ストリートビューはこちら

西鉄バス・筑豊,民家型

目指せ吊り下げ式待合室…のはずが

直方市の内ヶ磯線という路線。国鉄バス線の生き残りであり、西鉄と違った形で運営されてきたせいかバス停も独特。3つくらい待合室が残ってるはずなんでとりあえず撮っておくかという気分で向かったんだが…

お!?

前見たとき待合室はこの道路の向こう側にあった…はず。

でも…

なんかこのバス停昔からあった感じしかしなくね?
むしろこっちのほうがしっくりする感じで佇んでる…みたいな…

狭隘線ではこれが一番しっくりくるのかもしれない

このバス停前、恐ろしく狭隘な路線なうえに結構通行量多い。
車を停める場所がろくになく。いそいそと降りて、一時駐車の範囲にとどめるように留意してすぐ帰った。

西鉄バスの丸盤は結構珍しいのだが、数がないわけでもない。
形状の基準がキツキツに決まっているわけでもないようで、時代と場所によってかなりまちまちなのが西鉄の特色。

こないだ見た古門口と同様、割とフレキシブルに現場対応するところがある。

正直ここは壁で置くのが邪魔にもならず人も待つスペースができてよいのではなかろうか…

しかし絵面だけ見ると大分のバス停感半端ない。
西鉄だけどな!!

ストリートビューはこちら(旧バス停!!)


関係ないけど旧バス停内にいるおばちゃんがめっちゃ気になる!!