※業務連絡その他

2022/11/30のバス停トーク、ご来場有難うございました

正直、平日夜のイベントでライブハウスのバーカウンターで客4~5人くらいでひっそりやっか!みたいなノリで企画したつもりが、思いのほかお客さんが来て本当に焦りましたよ!!最初30分のパートが力入りすぎたりとか!!しかし面白かったので大団円!!
その時に来た熊本からのお客さんからのオファーがありまして、来年1月5日にやります!!

来年一発目バス停トーク!2023/1/5「”事件騒宴vol.5″-お正月スペシャル-」@熊本NAVARO


https://navaro.info/schedule/20221215-2599/
(会場HP告知)
熊本のNAVAROというライブハウスで、バンド・弾き語りの合間にバス停トーク30分2本をやります。
自分はトークとバンド出演もあります。死ぬんじゃなかろうか…。

1/05(木)@熊本NAVARO “事件騒宴vol.5"-お正月スペシャル- ニシジマオ(宇宙サービス) のバス停トークショー× 深居優治『存在の耐えられない透明さ』レコ発ライブ
Live:
田中事件
深居優治(広島)
宇宙サービス(福岡)
talk show:
ニシジマオのバス停トークショー

open19:00/start19:30
¥1500+1d ORDER

熊本近辺で気になる方、是非とも宜しくお願い申し上げます。最近山都町の案件が気になって、このついでに行ければいいなと思っています…。

大野竹田バス,壁型,民家型

2022/11/30「バス停トーク」宜しくお願い申し上げます


ユーテロの原尻店長がフライヤーを見て「これ、マジで実家の近所ですよ。こんなんマジであったんですかね…」と頭を抱えています。

一瞬廃止跡かと思った壁のバス停

原尻店長の実家近くのバス停2連発。さしもの地元民のその彼の生活導線を考えるとこの路地に入っていくことはまれなのでは…という感じの、駅の裏手の路地を登ったところに大きな三つ角があって、そのTの字のどん詰まりにひっそりとそれはあった。なお発見難易度はバカ高い。普通の人なら運転しながら発見とか困難だろう。

2016年、最初に来訪した時のもの。

時刻表ねえな…と気付く。こういう民家型バス停は時刻表がない場合「廃止跡」のことがあるのだが、よくよく見ると時刻表が床の落ち葉だまりの下に倒れて見えなくなっていた。

復元!!
緒方駅から田中に向かう二往復の通学路線。


そしてこちらが2022年夏。

壁の標識は変わらないけど…

今度は飛ばないように石が!!

そしてビス止めが!!
ちゃんと進化している!!

常楽荘は老人ホームとのこと。

何となく指差し確認で「ヨシ!」
昨日書いた同行者の方から写真頂きました。ありがとうございました。

ストリートビューはこちら

大野竹田バス,壁型,民家型,軒下吊り下げ

2022/11/30「バス停トーク」宜しくお願い申し上げます


あらためて宜しくお願い申し上げます。今章立ててプログラムを組んでいます。計算したら1~2時間行くんでは…。

立ってないバス停に出会った時の理想的なリアクションとは?

今年夏、とあるミュージシャンと大分県の佐伯に行ってきまして、その日は自分ともども別府の方に滞在が決まっていたので
「じゃ、帰りに行ける範囲で定点観測をしに行こう」
と思い立ちました。その方は東京の方でバス停に造詣が深いわけでもない。佐伯から大分方面に帰るすがら寄れるとなれば、豊後大野市近辺か。

という訳で岩鼻に到着。佐伯~三重~緒方と抜けてやってきました。

「ほんとだ、立ってないじゃん!珍しいねこれ!」
理想的なリアクションの同行者にこちらのボルテージも上がります。

なかなか希少種の純然たる軒下バス停。いつまでこれ残るだろうか…。

コロナもあってか本数がだいぶ渋くなりました…と思ったが、6年前の写真見たら

何も変わってなかった。それにしてもヒデエ写真だな!

そのまま高尾バス停へ

高尾、前行ったときはいい写真が全然撮れなかった。

前回撮れなかった遠景。
ごらんのとおり2車線化した箇所は、道路に面した建物の立ち退き、歩道の整備などでバス停が整備されて新調されることが多い。
この付近はストリートビューで確認できる限りこういうバス停の宝庫だったが、道路改修でかなり姿を消している。この近辺に伸びていた朝地~長湯方面の路線沿線にあったものは、廃止前にほぼ絶滅していた。

横の集落内道路の階段路地がいい味や…。

本数は2往復。田舎の典型的な通学想定ダイヤ。

「凄いね、ほぼ民家だねこれ!」
同行者も納得!!

撮ってる時のワイ。

楽しんでいただけたでしょうかと思っていたら、先日うちの妻(※その日も同行してた)の誕生日にこの方からバースデーカードが届いて、このバス停の絵が。

…なるほど、バースデーだから、バス停か…。

ストリートビューはこちら

岩鼻

高尾

※業務連絡その他

御無沙汰しております

いや、最初は半年以上も空けるつもりはなかったんですが、思いのほかブログ書く感じに戻らなかった。
そんなジマオさんですが、いきなりやります!

「ニシジマオのバス停トーク2022~あんたこのバス停をどう思う」
2022/11/30(wed)@福岡UTERO(2F)
OP 20:00~
¥1000(1drink込み)

2017年以来5年ぶりにバス停トークやります。
様々な珍バス停を訪問レポとともに紹介するスライドショー。5年の間に愛媛・広島・長崎と取材範囲も拡大!

友人からもらった兵庫~新潟の写真、グーグルストリートビューで調べまくった「立ってないバス停の分布」など、研究成果を1時間くらい色々と。果たしてまとまるのか!やるたびに半信半疑のライブハウスの客を最後は正座して聞かせてきた珍企画、堂々復活!あの時のお客のみんな、はっきり言う!「バス停はあれほど甘くなかった!!」

バス停旅行自体はちょくちょくやっておりまして、


こんなのとか


近所も回ったり


ここは撮り残しを撮りに。

水曜日の20時スタートという平日真っただ中のイベントですが、もしよろしければ予定を開けて頂けると助かります。お酒を飲みながらバス停の話で盛り上がりましょう、ぐらいの結構ゆるめのトークにしていけたらと思っております。

また当方はそこそこバス路線マニアの深いとこにいるのを自負しております。いろんな方々のご来場お待ち申し上げます。

ユーテロはこちらになります


〒810-0005 福岡県福岡市中央区清川2丁目6−34

※業務連絡その他

最近書いた自分的おすすめ記事

2月に愛媛県にライブ旅行行きまして、その際廻った伊予鉄バスのバス停の記事が好評でした。

坂口(愛媛県東温市)


知らなければわかるわけがないギリギリバス停、ここ最近では自他ともに最高評価。アクセスも無論一番人気。

日田バス民家系バス停まとめ


日田バス沼が自分のバス停写真収集のきっかけ。まずはこちらから。

日田バス赤石小学校の思い出


2020年に廃止された日田バス大野線のバス停。大胆過ぎるバス停板の定点観測記。

日田バス川原バス停の思い出()()(


まずバス停発見に1年、崩壊寸前の木造小屋にかけられた壁バス停の10年近い定点観測記。

塔尾入口(大分県宇佐市・廃止・2020年再訪)


現況も過去も衝撃的なバス停の墓

新端(愛媛県東温市)


集落のどこかに潜むわかるわけがないバス停、伊予鉄バスおそるべし

樋桶山線ビフォーアフター


バス停の概念をことごとく覆した大分県中津市の樋桶山線(※廃止)、そのバス停の今

仁王堂(熊本県山鹿市)


熊本で偶然出会ったタイムカプセルのような古びたバス停小屋

宮田町(福岡県宮若市・2021年再訪)


取り壊し直前に訪れた国鉄バス時代から続く自動車駅

白山二丁目(福岡県北九州市若松区)


今時のコミュニティバス事情が生んだ新種壁バス停

新原町(福岡県北九州市門司区)


西鉄バスの数少ない壁貼りバス停

上直瀬(愛媛県上浮穴郡久万高原町)


日本中のバスマニアにも知られる名路線の風情溢れる終点バス停

琴平町(大分県日田市・2021年再訪)


大分県の日田バス随一のバス停小屋、定点観測の記録

大石(福岡県筑紫野市)


新ジャンル「地面の吹けば飛ぶ系バス停」

小泊(山口県大島郡周防大島町)


新感覚マリンバス停「堤防直貼り」

下(大分県速見郡日出町)


最近発見した大分交通傘下ではおそらく唯一の軒下バス停

井之上(大分県佐伯市)


最近まで佐伯市に残っていた民家型バス停

今泊(長崎県西海市)


長崎からの刺客、フルーツバス停の陰に隠れた恐ろしいクリーチャー風バス停

下畑(山口県岩国市)


比較的バス停ポールの立つ山口県で珍しい小屋のみバス停

天皇様(山口県下関市)


畏れ多さでは日本一レベルの名前のバス停

猫塚公園前(福岡県宮若市)


地元の超有名猫バス停ヨシ!

 

 

 

伊予鉄バス,棒型,古バス停

森林組合の謎

柳井の次だった。
鬱蒼とした森の雪道を慎重に下ると、デカい建物が現れて…


次のバス停は「森林組合前」なんで、ここがそうかと思ったそのそばに

さりげなく置かれた棒と時刻表。
目立たないけれど、ここは隣に比べたらバス停と視認できるか?

かつて時刻表を貼るために設置されたであろう鉄板はサビサビで、時刻表もそこに貼ることを諦められている。

森林組合かと思った裏の建物は、側溝のようなコンクリート部品を作る工場のようだ。
この付近にはこの建物以外に森林組合ぽいものはなく、では久万高原の森林組合はというと町の方に事務所が、この道路を通らない新道の方に事業所が移転している。
この工場の操業は会社HPを参照にすると1992年。

近くにある「峠御堂トンネル」の開通でこの道は「旧道」のようなので、ここは時間を止めてしまったよう。
おかげでこんな趣深いバス停が残ってると言えよう…。

※大変申し訳ありませんがしばらく「音楽制作モード」に突入するので更新休みます。
バス停のストック自体は今のところあと100記事ぶんくらいありますので、再開までお待ちいただければと思っております…。

ストリートビューはこちら

長崎バス,壁型,擁壁

都会の真ん中に潜む壁式バス停

長崎市の街中、バス通りとバス通りに挟まれたちょっと裏路地といった感じの道。


ここはバスは通らんだろ、って感じの市街地の狭い道なんだけど…

長崎バスのホームページで

平和町商店街。平和と名の付く通り長崎市の平和公園のほど近く。
福岡出身な人は小学校の修学旅行で行く場所でおなじみ。
時節柄思う、本当に戦争はよくない…。

反対側には普通にポールが立ってます。
ここを走るのは江平登口の江平線。訪れた時はバスには遭遇しなかったのだけど、後で調べたら普通にデカいバスが来ると知って驚いた。
中型車両とかじゃないんだ…。

こっちが壁貼りなの、歩道幅の関係だろう。
長崎バスのホームページでも紹介されてたこともあって(※現在はそのページはない)、この「省スペースバス停」もっと増えるんじゃね?と思っていた。
その後増えた新路線の類の沿線をストビューで確認したが、残念ながら意外にポール立ってた。やっぱバス停と言えばポール立ててなんぼなんかね。

長崎市は坂道の住宅地が多いのでバス需要が他の市町村に比べて高いのだが、この街ですら最近は苦境なのだそう。
新路線はこれから増えないものだろうかなあ。出来てほしいよね、ロマンあるし。

ストリートビューはこちら

全但バス,軒下吊り下げ

普通の小屋型バス停と思ったら…

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
全但バス奥藤線の末端部、京都との県境近く。鬼子母神前赤花の間。
遠間で見れば普通に小屋から生えてる感じだが…


近寄って、よく見てみると

どっちに生えてんねん!!
珍しい「集積所型」。

日田バス「本城」みたいに待合室が集積場になったパターンもあれば

大野竹田バス「久保入口」みたいに仕方なく集積場に貼ったパターンもあり。

集積場そのものの軒下に貼ったパターンはここしかないと思う。
生い立ちが色々と気になってしまう。どうしてこうなったんだろう…。

ストリートビューはこちら

日田バス,廃止跡

日田バス石飛バス停の角看板

日田バスの日出生線は、豊後森から宇佐四日市への峠道を北上していた路線。日田バスの運行エリアでは北東端にあたっていた。
ここは国道387号線が通っており、現在はかなり高規格なドライブウェイが開通している。
その開通前、昭和末期ごろの道路地図に掲載されている旧道には幾度か、旧バス停の遺構などないかと車で分け入ったことがあるが、幾度かの土砂災害でたいそう荒れていてまったく入り込めなかった。一つだけ旧柿木バス停のものと思しき小屋があったが、路肩も荒れていて近づけず結局お堂と判別がつかなかった記憶がある。

(ウェブアーカイブより、日田バス路線図

日出生線の末端部分は丸板のポールがきっちり整備されていて、非常に拍子抜けであった。

この小場、バス停看板が行方不明のまま廃止になった谷の河内の二つだけがポール以外のバス停であった。
軒先などに置くタイプの板を無理やりポールにくっつけていた老舞の例をみて、新道につけ変わった時にバス停をちゃんと新調したのだろうという推論を立てている。


まだ存命だったころ、日田バス森町の営業所車庫の片隅の草むらにこんなものが落ちていた。
日田バスの古いバス名板は基本的にポールが丸、小屋や軒先のものが角である。
晩年の石飛のバス停は国道沿いのバスカットに立っていたはず。これは旧バス停のものだろう。

角看板があったと思しき場所へ

その日は玖珠町の南エリアを見に行こうと企んでいたついでだった。
ストリートビューもない場所であったので、ちょっと見かけるぐらいでいいかと思っていたが…

奥の方からやってくる旧バス通りは、この地点の交差点で写真左の道に折れて日出生に向かう。
手持ちの道路地図によると、多少交差点より写真奥のほうにずれた形でバス停マークが記載されている。

そのゴミ置き場に…

バス乗り場が!!

日出生線の代替で玖珠町のコミュニティバスが走っているのは知っていたが、この石飛の旧バス停の場所にいたことは初めて知った。
が、この付近を探せど探せど時刻表は見当たらず。
家に帰って玖珠町のサイトで確認をしたところ、停留所の名前から「石飛」の名前はオミットされてしまっているようだ。「柿木」の次は「日出生本村」となっている。ここは脇道になり、入り込む必要はない。

バス停の看板だけが残っていて、再びバス停跡となってしまった一角。元々道路の分岐点ありきで設けられた立地であったようだが、集落の方も一軒だけ家が残っている状態だった。
図らずも、この小さなバス停の二度目の廃止跡を記録する旅になってしまった。多分、この存在などほとんどの人が気になんてしていないだろう。しなくてもいいと言ってしまえばそれまで…。

全但バス,民家型,終点,軒下吊り下げ

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
豊岡駅から西へ、奈佐川沿いに山へ向かう目坂線の終点。

いい感じの小屋が現れる。

この奥に集落があり、バスはそこで折り返し。

ポストとポスターがいい味を出している。

下り6本・上り8本となかなかの本数。
一部便は京都との県境近い奥野まで1時間10分かけて直通している。なかなかのロングランだ。

この先は峠。
昔は峠を越えていたんかな、旧竹野町の床瀬という集落に通じている。
通じた先にもいくつかバス停があり、コミュニティバスのバス停らしきものが立っていた。

この目坂線沿線は他にもいくつか…

目坂の一つ前。

辻。

かなり街中まで下りた先の軒下案件の

福田。
他に小屋の残ってる宮井については、軒下に下がってた時代の大谷の写真と含めて後に…。

ストリートビューはこちら