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最近書いた自分的おすすめ記事

2月に愛媛県にライブ旅行行きまして、その際廻った伊予鉄バスのバス停の記事が好評でした。

坂口(愛媛県東温市)


知らなければわかるわけがないギリギリバス停、ここ最近では自他ともに最高評価。アクセスも無論一番人気。

日田バス民家系バス停まとめ


日田バス沼が自分のバス停写真収集のきっかけ。まずはこちらから。

日田バス赤石小学校の思い出


2020年に廃止された日田バス大野線のバス停。大胆過ぎるバス停板の定点観測記。

日田バス川原バス停の思い出()()(


まずバス停発見に1年、崩壊寸前の木造小屋にかけられた壁バス停の10年近い定点観測記。

塔尾入口(大分県宇佐市・廃止・2020年再訪)


現況も過去も衝撃的なバス停の墓

新端(愛媛県東温市)


集落のどこかに潜むわかるわけがないバス停、伊予鉄バスおそるべし

樋桶山線ビフォーアフター


バス停の概念をことごとく覆した大分県中津市の樋桶山線(※廃止)、そのバス停の今

仁王堂(熊本県山鹿市)


熊本で偶然出会ったタイムカプセルのような古びたバス停小屋

宮田町(福岡県宮若市・2021年再訪)


取り壊し直前に訪れた国鉄バス時代から続く自動車駅

白山二丁目(福岡県北九州市若松区)


今時のコミュニティバス事情が生んだ新種壁バス停

新原町(福岡県北九州市門司区)


西鉄バスの数少ない壁貼りバス停

上直瀬(愛媛県上浮穴郡久万高原町)


日本中のバスマニアにも知られる名路線の風情溢れる終点バス停

琴平町(大分県日田市・2021年再訪)


大分県の日田バス随一のバス停小屋、定点観測の記録

大石(福岡県筑紫野市)


新ジャンル「地面の吹けば飛ぶ系バス停」

小泊(山口県大島郡周防大島町)


新感覚マリンバス停「堤防直貼り」

下(大分県速見郡日出町)


最近発見した大分交通傘下ではおそらく唯一の軒下バス停

井之上(大分県佐伯市)


最近まで佐伯市に残っていた民家型バス停

今泊(長崎県西海市)


長崎からの刺客、フルーツバス停の陰に隠れた恐ろしいクリーチャー風バス停

下畑(山口県岩国市)


比較的バス停ポールの立つ山口県で珍しい小屋のみバス停

天皇様(山口県下関市)


畏れ多さでは日本一レベルの名前のバス停

猫塚公園前(福岡県宮若市)


地元の超有名猫バス停ヨシ!

 

 

 

伊予鉄バス,棒型,古バス停

森林組合の謎

柳井の次だった。
鬱蒼とした森の雪道を慎重に下ると、デカい建物が現れて…


次のバス停は「森林組合前」なんで、ここがそうかと思ったそのそばに

さりげなく置かれた棒と時刻表。
目立たないけれど、ここは隣に比べたらバス停と視認できるか?

かつて時刻表を貼るために設置されたであろう鉄板はサビサビで、時刻表もそこに貼ることを諦められている。

森林組合かと思った裏の建物は、側溝のようなコンクリート部品を作る工場のようだ。
この付近にはこの建物以外に森林組合ぽいものはなく、では久万高原の森林組合はというと町の方に事務所が、この道路を通らない新道の方に事業所が移転している。
この工場の操業は会社HPを参照にすると1992年。

近くにある「峠御堂トンネル」の開通でこの道は「旧道」のようなので、ここは時間を止めてしまったよう。
おかげでこんな趣深いバス停が残ってると言えよう…。

※大変申し訳ありませんがしばらく「音楽制作モード」に突入するので更新休みます。
バス停のストック自体は今のところあと100記事ぶんくらいありますので、再開までお待ちいただければと思っております…。

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長崎バス,壁型,擁壁

都会の真ん中に潜む壁式バス停

長崎市の街中、バス通りとバス通りに挟まれたちょっと裏路地といった感じの道。


ここはバスは通らんだろ、って感じの市街地の狭い道なんだけど…

長崎バスのホームページで

平和町商店街。平和と名の付く通り長崎市の平和公園のほど近く。
福岡出身な人は小学校の修学旅行で行く場所でおなじみ。
時節柄思う、本当に戦争はよくない…。

反対側には普通にポールが立ってます。
ここを走るのは江平登口の江平線。訪れた時はバスには遭遇しなかったのだけど、後で調べたら普通にデカいバスが来ると知って驚いた。
中型車両とかじゃないんだ…。

こっちが壁貼りなの、歩道幅の関係だろう。
長崎バスのホームページでも紹介されてたこともあって(※現在はそのページはない)、この「省スペースバス停」もっと増えるんじゃね?と思っていた。
その後増えた新路線の類の沿線をストビューで確認したが、残念ながら意外にポール立ってた。やっぱバス停と言えばポール立ててなんぼなんかね。

長崎市は坂道の住宅地が多いのでバス需要が他の市町村に比べて高いのだが、この街ですら最近は苦境なのだそう。
新路線はこれから増えないものだろうかなあ。出来てほしいよね、ロマンあるし。

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全但バス,軒下吊り下げ

普通の小屋型バス停と思ったら…

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
全但バス奥藤線の末端部、京都との県境近く。鬼子母神前赤花の間。
遠間で見れば普通に小屋から生えてる感じだが…


近寄って、よく見てみると

どっちに生えてんねん!!
珍しい「集積所型」。

日田バス「本城」みたいに待合室が集積場になったパターンもあれば

大野竹田バス「久保入口」みたいに仕方なく集積場に貼ったパターンもあり。

集積場そのものの軒下に貼ったパターンはここしかないと思う。
生い立ちが色々と気になってしまう。どうしてこうなったんだろう…。

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日田バス,廃止跡

日田バス石飛バス停の角看板

日田バスの日出生線は、豊後森から宇佐四日市への峠道を北上していた路線。日田バスの運行エリアでは北東端にあたっていた。
ここは国道387号線が通っており、現在はかなり高規格なドライブウェイが開通している。
その開通前、昭和末期ごろの道路地図に掲載されている旧道には幾度か、旧バス停の遺構などないかと車で分け入ったことがあるが、幾度かの土砂災害でたいそう荒れていてまったく入り込めなかった。一つだけ旧柿木バス停のものと思しき小屋があったが、路肩も荒れていて近づけず結局お堂と判別がつかなかった記憶がある。

(ウェブアーカイブより、日田バス路線図

日出生線の末端部分は丸板のポールがきっちり整備されていて、非常に拍子抜けであった。

この小場、バス停看板が行方不明のまま廃止になった谷の河内の二つだけがポール以外のバス停であった。
軒先などに置くタイプの板を無理やりポールにくっつけていた老舞の例をみて、新道につけ変わった時にバス停をちゃんと新調したのだろうという推論を立てている。


まだ存命だったころ、日田バス森町の営業所車庫の片隅の草むらにこんなものが落ちていた。
日田バスの古いバス名板は基本的にポールが丸、小屋や軒先のものが角である。
晩年の石飛のバス停は国道沿いのバスカットに立っていたはず。これは旧バス停のものだろう。

角看板があったと思しき場所へ

その日は玖珠町の南エリアを見に行こうと企んでいたついでだった。
ストリートビューもない場所であったので、ちょっと見かけるぐらいでいいかと思っていたが…

奥の方からやってくる旧バス通りは、この地点の交差点で写真左の道に折れて日出生に向かう。
手持ちの道路地図によると、多少交差点より写真奥のほうにずれた形でバス停マークが記載されている。

そのゴミ置き場に…

バス乗り場が!!

日出生線の代替で玖珠町のコミュニティバスが走っているのは知っていたが、この石飛の旧バス停の場所にいたことは初めて知った。
が、この付近を探せど探せど時刻表は見当たらず。
家に帰って玖珠町のサイトで確認をしたところ、停留所の名前から「石飛」の名前はオミットされてしまっているようだ。「柿木」の次は「日出生本村」となっている。ここは脇道になり、入り込む必要はない。

バス停の看板だけが残っていて、再びバス停跡となってしまった一角。元々道路の分岐点ありきで設けられた立地であったようだが、集落の方も一軒だけ家が残っている状態だった。
図らずも、この小さなバス停の二度目の廃止跡を記録する旅になってしまった。多分、この存在などほとんどの人が気になんてしていないだろう。しなくてもいいと言ってしまえばそれまで…。

全但バス,民家型,終点,軒下吊り下げ

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
豊岡駅から西へ、奈佐川沿いに山へ向かう目坂線の終点。

いい感じの小屋が現れる。

この奥に集落があり、バスはそこで折り返し。

ポストとポスターがいい味を出している。

下り6本・上り8本となかなかの本数。
一部便は京都との県境近い奥野まで1時間10分かけて直通している。なかなかのロングランだ。

この先は峠。
昔は峠を越えていたんかな、旧竹野町の床瀬という集落に通じている。
通じた先にもいくつかバス停があり、コミュニティバスのバス停らしきものが立っていた。

この目坂線沿線は他にもいくつか…

目坂の一つ前。

辻。

かなり街中まで下りた先の軒下案件の

福田。
他に小屋の残ってる宮井については、軒下に下がってた時代の大谷の写真と含めて後に…。

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伊予鉄バス,小屋型

この日出会った唯一の小屋+板バス停

愛媛のバス停を巡った日は、久万高原町の河之内線・上直瀬線・富重線、東温市の松瀬川線に絞った。
天候不良を理由に面河方面は断念、海上線はフェリー時間までに鯛飯を食うため最初から除外。
割と時間とも戦いながら廻っていた。


一ノ谷を出て、次に出会ったのがここ。

小屋型だ!!
この日廻った路線唯一の小屋+バス停板のものであった。

なかなかよい風情のくたびれ切った木造トタン小屋。

横にあるのは

お地蔵さま。

学校前(直瀬小)とある。
伊予鉄久万エリアには合計3つ「学校前」バス停が存在していて、バス便によってはここを含めた2軒の「学校前」を通ることになっているらしい。
なんとややこしいんだ…。

久万エリアにはもう一軒廃止になった「学校前」も存在していて、古いストリートビューでも見れる。
4軒もあるのなら、小学校の名前を付ければよいと思うのだが…。

学校はちょっと離れていた。学校前というよりは、学校へと続く里道の入り口みたいな趣。

ところで帰宅して、伊予鉄の路線表を改めて確認していたら。
手前の一ノ谷と学校前の間に「大寄橋」というバス停があったことが発覚。
ストリートビューで確認してみたら、初見でとてもわかるものではなかった。
これはできることなら再訪しなきゃだな…。

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伊予鉄バス,棒型,地面型

路傍の石のような趣の足元系バス停

久万高原町の山間部線、何便かがトンネル開通前の旧道を走っており、ここはその(割と)狭隘路上に位置している。
来訪したのは朝8時過ぎ。朝の通学便の出払った後で、往路にはそれらしき轍が雪に残っていた。


ここも事前情報がなければバス停なぞ、どこにあるかわからないだろう。

これ。

高知の棒バス停のような、白いペンキ跡のある木の棒に括られたバス停。
一ノ谷と同様。それともバス停板が掲げられていた上田のようなタイプの残骸なのかはわからない。

左はごみ収集のお知らせ看板。よく見ないと勘違いしてしまいそうだ。

妻(※のお気に入りの恐竜)と記念写真。
ここはこの日二つ目の伊予鉄バス停だったのだが、早くもボルテージはMAXに達していた…。

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さいかい交通,ポール型

おさかなバス停第三章「またしてもあらかぶ」

今泊蛎ノ浦に続くおさかなシリーズ第3弾である。
しかしその種類は鯛・あらかぶ・あらかぶ・Wあらかぶと著しくバリエーションのバランスが悪い。


そんなツッコミもどこ吹く風ののんきなかぶやん

旧崎戸町エリア、崎戸島にあります。
バス路線的にはここは2車線道路から分け入った「旧道」みたいな路地になっていて、そこからさらに旧炭鉱住宅団地方面に分け入って折り返して戻ってくるなどする。乗りバス的にはアトラクションがいっぱいの区域だ。

この付近は崎戸炭鉱があったところ。炭鉱記念公園の裏手にバス停は位置している。

昭和45年の炭鉱閉山後、この付近の炭鉱住宅は姿を消してしまったようだ。景色は森におおわれて、すっかり静まり返っている。

崎戸島の魚バス停の中でもおそらくこれが一番見つけにくいのでは?

あらかぶ、煮つけの手間がかかるんだよな…

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奈良交通,軒下吊り下げ

旧街道のみ残る曽爾村の軒下バス停

(この記事の写真は撮影:北ノ・2020年撮影)
奈良県の三重県境近い曽爾村はすすきの原のある曽爾高原で有名で、伊勢国と大和国を結ぶ伊勢街道が横断している。
そのルートに沿った国道375号線をバスは走る。多くはポールが立っているのだが、バス路線は何度か旧国道の集落の中に飛び込んでいくので…

こういうバス停が何度か登場したりする。
曽爾に行くバスは現在「奥宇陀わくわくバス」として運営されている。引き続き奈良交通が運行していてホームページでも時刻が検索できる。日田バスの晩年の有田線みたいなものだろうか。

終点曽爾村役場も旧道の真ん中にあり、その一つ前のバス停が「曽爾」。

純然たる軒下バス停。
HPで今見られるこの周辺の路線図と少し違う路線図と分かるので、これは実物をじっくり拝見してみたい。
曽爾線は今HPには載ってないんだよね。

宅急便取り扱いの看板、大分交通のなんかでも見たな。

グーグルやSNSで「軒下」「バス停」と検索すると比較的この曽爾が出てくる。観光地近くなので普通の人々の遭遇率高いのか。
奈良もじっくり2日くらいかけて自分で撮りに行ってみたいな。2日で終わるのだろうか。

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